interview 007: YUKI FUJISAWA

見えないものをテキスタイルで表現する

YUKI FUJISAWA

テキスタイルデザイナーの藤澤ゆきさんは、「見えないものを表現する」を活動のコンセプトとしている。例えば、私たちの生きている時間に寄り添う服や物に、染めやプリントをそっと差し入れる。そうすることで、淡く、脆く、空気のように透明に存在する記憶や感情に、鮮やかな色と光を与え、感覚可能なものへと変換していく。「テキスタイル」を表現手段に、目に見えないものを視覚化させようとするのだ。

私たちは毎日たくさんの物に囲まれ、服を着て過ごしている。それは、空気を吸って生きていることと同じくらいに当たり前で、しかし私たちは普段そのことについて特別思いを巡らすことはない。私たちの記憶や感情も、勝手に生まれ出ては何処に沈殿していくものではなく、誰かにあるいは世界に接触することで生み出され、刻印されるものなのだと思う。服や物はいつだって私たちの傍らにあって、私たちにそっと触れながら、記憶や感情を静かに刻印し続けている。
(収録2015/5/1 *聞き手:中村ゆい 構成:菊田琢也)

   

「何か」をデザインしたい

――テキスタイルを表現手段として選んだ理由について教えてください。
多摩美術大学(以下、多摩美)の生産デザイン学科テキスタイルデザイン専攻で染めとプリントを中心に学んだのですが、学科を選択する上で、父の存在がまず大きく影響していると思います。父は30年近くファッション業界に携わっている人で、大手アパレル会社に務めた後、友人と独立し、タブロイド ニュース(TABLOID NEWS)というメンズブランドを立ち上げました。高度な縫製技術・パターンを用いたテイラードを中心に展開するブランドでした。その後、父は抜け、メンズアパレルのコンサルティング・企画・製造パターン作成の会社を設立し、2016SSからはHAND ROOMというブランドも新たに立ち上げています。私が幼少の頃に、子ども服の企画をしていたこともあって、可愛い服をたくさん着させてもらいました。自宅にも生地がたくさんあったことを覚えています。父は、食や住まいなどにもこだわりのある人で、常に良いものに触れさせてくれました。

進学に向けて美術予備校に通っている頃、自分の興味を惹くものをファイリングする作業に夢中になっていました。雑誌を切り抜いたり、展示会や美術館のパンフレットを集めたりし、それらをひたすらファイルに入れて自分だけの資料集を作っていました。その過程で、「テキスタイル」という共通項にたどり着きます。

10代の頃、特に好きだったのは、ミナ ペルホネン(minä perhonen)の皆川明さんやスポークン ワーズ プロジェクト(spoken words project)の飛田正浩さん、その当時はドラフト(DRAFT)に所属していたグラフィック・デザイナーの植原亮輔さんの作品でした。その中でも、飛田さんと植原さんが多摩美のテキスタイルデザイン専攻で学んでいたことを知り、憧れのお二方の出身校に行くしかない!と思ったのです。テキスタイルについて調べていくと、様々なジャンルへ横断できることが分かってきました。当時はグラフィックなどデザイン全般に興味があったので、好奇心旺盛な自分にはいいかもしれない、と。それがテキスタイルを選んだきっかけです。

――植原さん、飛田さんの魅力はどのような所にあると思いますか。
植原さんは、グラフィックのセンスはもちろん、質感やディテールへのアプローチの仕方がとても魅力的だと思います。当時、植原さんはミハラヤスヒロ(MIHARAYASUHIRO)やシアタープロダクツ(THEATRE PRODUCTS)のグラフィック・ツール、ディーブロス(D-BROS)のディレクションを手掛けるなどして注目を集めていました。まず第一にデザインが美しく、しかし、よく見るとロジカルなトリックが巧みに落とし込まれています。驚きもあって、社会との明るいコミュニケーションが存在します。植原さんの作品から、素材と用途に寄り添ったデザインにはしっかりとしたルールがあることも知りました。

飛田さんには、スポークン ワーズ プロジェクトのインターンとして、大学1年生の夏から1年半程、現場で経験を積ませてもらいました。スポークン ワーズ プロジェクトは一般的なアパレルとは違うやり方で流通に乗せる試みをしているブランドです。例えば、生地に染めやプリントを施す作業を、自分たちの手でアトリエで行っています。形は同じでも裁断の仕方で柄の出方が異なり、すべてがオンリーワンの服です。大量生産ではないインディペンデントな方法だからこそ、世界で一つの服になる。こんなにも詩的な服が手作業を通して作れるのだと教えてもらいました。

ちなみに、当時の飛田さんはいつも鬼気迫る雰囲気で、とっても怖かったんです。ザ・親方。まさに背中を見て学ぶような形でした。飛田さんからは精神的な部分を、後に役立つ細かなことはアシスタントの三橋さんに教えてもらいました。

・左、中央: 「オーロラのテキスタイル」2011 ・右: 「flowered」2012 ©山本渉

   
――多摩美在学中の2012年には、イギリスのセント・マーチンズのニット科のサマースクールにも参加されていますね。
その頃には既にニットのシリーズも始めており、多摩美のプログラムだけではニットを詳しく学ぶことが難しかったので受講しました。大学4年生の時期でもあったので、ロンドンの大学院に進学することも考え、見学も兼ねての短期留学でした。

――2011年に「ハートの、」というご自身のブランドを立ち上げています。テキスタイルという素材にとどまらず、物や服の形に落とし込む方向性を選ばれた背景にはどういった経緯や意図があったのでしょうか。
私の場合は、技法を物に変換していくというプロセスが多いのですが、自分の手で作ることができる身近で一番分かりやすい媒体として服があったということもあります。テキスタイルデザインでは、布をどのように物に落とし込んでいくかが問われます。例えば、インテリアの分野でソファーカバーを作るとなると、柄のデザインはできても、耐久性のある素材の選択や最終的な縫製は知識や経験がないと難しい。そこで、最初に私が作ったのはシュシュやリボンなどの小物でした。自分の手で完結できるものにしたかったんですね。

最初は、雑貨のデザイナーになりたいと思っていたんです。中学生の頃、スイマー(SWIMMER)というブランドの雑貨が大好きで、周囲でもとても流行っていました。特に思い出があるのはりんごの形をしたシャープペンです。少し持ちづらいんですけど、普通のペンよりも使っていて楽しいし、気持ちも上がる。眺めているだけでかわいいし、勉強も少しやる気が出てくる。そんなポジティブでハッピーな感情を、デザインを通して誰かに伝えられることがとてもいいなと思ったのです。人が使う物を作りたいと昔から思っていました。

・左: 「オーロラのシュシュ」2012 ・右: 「午前4時のスカート」2012 ©山本渉

   
――普段制作される際には、こんな人に着てもらいたいなど、着る人のことを意識されているのでしょうか。
最近、少しずつ意識するようになりました。自分の服を好いてくれる人はこの青とこの青であれば、こちらが好みだろう、といったことが少しずつ分かってきて。特にコラボレーションをする際は、相手企業・ブランドの購買層を意識する場面も増えました。ただ、基本的には自分が欲しいと思うもの、自分の心が動くものを作るようにしています。私自身はトップダウンというよりも、消費者に気持ちが近い所でものづくりをするデザイナーで、自分が心から良いと思った物事は、きっとファンの方にも共感してもらえるだろうと思っています。

   

真っ白な布に、新たな命を吹き込む

――「目に見えないものをテキスタイルで表現する」ことを活動のコンセプトにされていますが、どういった試行錯誤を経て辿り着かれたのでしょうか。
テクノロジーの時代に敢えて原始的な作業をすることの意味を考え、自分の手で染めやプリントを施すことで、布に見えない力を宿すことが出来るのではないかと考えました。それが、ブランド・コンセプトのきっかけです。

大学ではデザインの方法論よりも染織の技法を学ぶことが多かったです。餅粉と糠を混ぜて防染糊を作ったり、裏山から植物を採取してきて植物染めを行ったり。シルクスクリーンのプリントも、製版から捺染まですべて自分たちの手で行う。そうした染織の根源的な部分に触れる度に驚きと発見があり、いつも心が動きました。とりわけ自分が強く惹かれたのは染めの作業でした。まっさらな布を張って、刷毛で色をさす。真っ白だった生地に色が入っていく様を見て、そこに生命が宿る感じがしました。「布ってこういう風に色が付くんだ」、「一本の糸がこう織り重なることで布というものになるんだ」と、一から生み出す作業にとても感動したのです。
 
また、大学ではコンセプトを考えるように常に言われました。表現技法や落とし込む媒体について、過去から現在に至る経緯や背景までをきちんとリサーチすることが求められました。そうした中で、自分自身が普段感じる心情に重きを置き、感情とテキスタイルの手作業の行為性に関連を持たせる表現をとるようになっていきました。

2013年に発表した卒業制作「I find LOVE」は、そうした表現が最終的に行き着いた作品です。小学2年生の頃に両親が離婚し、幼い頃から家族間の愛情が欠落していました。離婚してからは大好きな父親と会えない時期もあって、いつの間にか新しい家族が増えていたり、減っていたり。私も家に帰らない時間が増え、家族間の無関心が続いていました。家族の愛はずっとずっと、憧れの対象でした。

「I find LOVE」はタイトル通り、愛を見つけるというのがテーマです。愛とは一見、美しいもの。だけど本当のところはとても複雑で、理想と現実は異なります。でも、それでも愛を求めて、誰かを心から愛したかったり、愛はあるんだと信じたい気持ちがある。そういった複雑な感情を、ある意味祈りにも似た気持ちを込めながら、自分の中での愛の形を表現した作品です。制作を経る中で、これまで目を逸らしていた家族についての感情と徹底的に向き合ったことで、自分の中で何か一つの感情が終わりました。私にとって大きな転機になった作品です。そうしたプロセスから、私が心を込めて作った布を誰かが身に纏うことで、その人の勇気だったり、心の支えになることができるのではないかと思うようになりました。

・「I find LOVE」2013 ©末正 真礼生

   
――藤澤さんの作品に通底しているのは、染めることで物としての次元を変えていく作業だと思います。現在の藤澤さんにとって「染める」ということはどういった作業なのでしょうか。
染めることは生まれ変わらせることだと思っています。真っ白だったものが青になること、ピンクになることで全く印象が変わる。染めやプリントを施すことによって佇まいを変化させることは、命を宿すというと大げさかもしれませんが、パッと新しいものになる、生まれ変わる、そういうイメージがずっとあります。

――染めと素材は表現として切っても切れない関係にあると思いますが、素材の面ではどのようなことを探求してきましたか。
プロダクトに変換していく作業が多いので、ヴィンテージであれば染める際に扱いやすい素材や年代・原産国をチェックし、反物であればどの産地で作られているかを基準に選ぶなど、どの加工との相性が良いか研究してきました。
学生の頃は表現を作品として成り立たせることがメインだったので、抽象的な自分の感情や記憶を表現する「透明なもの」ということがキーワードになっていました。一枚では頼りないおぼろげなものが、重なることで実際の目に見え、姿が浮かび上がってくる。私にとってそれは、脳内では掴みかねているおぼろげな記憶のイメージが具象化する感覚にとても近いのです。透明ではない生地にオパール加工を施すことで透明にする、透明度の高い薄い生地にインクを載せて透明・不透明な部分を作るといった、透過表現にこだわっていました。

――染め以外では、箔のプリントをよく用いていますね。
箔は学生の頃から、テキスタイルの技法として好んで使っていました。内部に浸透していく染めに対して、箔は表面加工。テクスチャーとして表層に現れるのが面白いです。学生の頃の作品で使っていた素材はオーガンジーなど透けるものが多く、不透明性を与えるためには表面加工が適していたこともあります。

――箔プリントは落ちてしまうことも含めた表現として用いているのでしょうか。
はい。古着に染やプリントを施す一点ものの「NEW VINATGE(ニューヴィンテージ)」というシリーズはまさにそれを体現しています。古着はすでに誰かが着た時間、記憶があり、そこに私の加工が入ってさらに新たな持ち主の元へ渡り、その人が着るこれからの時間へと続いていきます。箔が落ちることをネガティブに捉えるのではなく、新たな時間の中で、箔が落ち、見え方が変わっていく様を通じて、モノが変わっていくことを楽しんでほしいです。

・「記憶の中のセーター」2014-15AW

   
――2014年春に引き続き、2015年も「アトリエ染花」とのコラボレーションでアクセサリーを展開されていますね。
2015年3月の展示会では「forget-me-not」というタイトルで、忘れな草をモチーフとした花飾りを新作として発表しました。花びらは最初平らな状態で、花の形に型抜してあり、それに一枚ずつ私が色を刺していきます。その後、アトリエ染花さんにコテを当てて丸めてもらい、穴を開けペップを通して、形作られています。何万枚もの花びらを染めるのも大変でしたが、形に組む際に職人技が必要で大変な作業でした。アトリエ染花さんとは布や花といった共通点があり、波長が合うので、今後もコラボレーションを続けていく予定です。

――表現作品でも花を使われていますが、お好きなのですか。
花はとても好きでプライベートでもよく飾ります。好きになったのは多摩美の入学試験の際に、花に触れる機会が増えた頃から。入試課題は花の鉛筆デッサンで、3本のバラとコップを画面で構成しなさいといったようなものです。デッサンは描くというより観察すること。毎日たくさんの花と向き合い、構造を勉強しました。触れるうちにだんだん花の持つ空間性や美しさが分かってきたのです。花の魅力は造形的にも美しく有機的で、どこか陰りもあるところ。様々な要素があるので眺めていて飽きません。

――春夏シーズンでは、古着Tシャツのカスタマイズも手がけていらっしゃいますよね。
「conceal Print T-shirt(コンシールプリントTシャツ)」というタイトルを掲げたシリーズで、2014年からスタートさせました。古着のプリントTシャツの上に新たにプリントを重ねることで、見える部分と見えない部分を作り出す。すなわち、「conceal=覆い隠す」ということを狙いとしています。
前回は部分的に透明な箔を用いて、窓のように下地が見えるプリントを施していました。今回はインクに偏光するラメを混ぜ、ガラスビーズに光が当たることで下のプリントが見えなくなるというギミックです。
古着のTシャツは、昨年はすべてタイで買い付けていて、今年はタイと日本の半々です。バンコクはカルチャー的にも面白くて好きな街です。ヴィンテージの視点からも、ヨーロッパからカンボジアへと流れてきた夏物のヴィンテージが集まる中間地点になっていて、なかなか手に入らない80〜90年代のヴィンテージTシャツも入手できます。

・左: 「forget-me-not」2015 ・右: 「conceal Print T-shirs」2014

   

記憶を受け渡し、思い出を貯める装置としてのニット

――秋冬シーズンではアランニットのシリーズを展開していますが、ニットの染め方が少しずつ変化していますよね。特に、2015-16AWで以前と異なる印象を強く受けました。
ニットのシリーズは異なる染めやプリントの技法を用いることで毎年見え方を変えることをコンセプトにしています。2015-16AWで始めてから5年目になります。今季のニットは制作の前にアラン島を訪ねたことが大きく影響していて、現地で触れた気候風土を染めで表現することをテーマにしています。

これまでは、アランニットの無垢な野暮ったさを、どう現代の気分に持っていくかを意識して取り組んでいました。なので、ピンクやグリーンなど鮮やかな色合いのグラデーションを多用し、その上に金銀の箔を押して、今の20代~30代の女性も着られるような、時代感に合うように変換することを目指してきました。

――どういったきっかけでアラン島を訪ねたのでしょうか。
アランニットのシリーズを続けていく内に、いかなる気候風土の中でどういった人の手で編まれているのか、実際に現地に赴いて生産の背景を見たいという思いがだんだんと強くなっていきました。そこで、昨年12月にアイルランドのアラン島を訪ねました。冬の島々は、「こんなところでニットが作られていたなんて!」と思うようなとても過酷な環境で、寒くて風と波の音しかしない。夕方には真っ暗になって、街灯もないので出歩くこともできません。

私が訪ねたのは夏のベストシーズンではなく冬に入った時期で、フェリーも1日1本しかなく、旅行者は私くらいで周りには現地の人しかいない。でも、そういう時期に皆ニットを編んでいるのです。夏は観光業で稼ぎ、冬になると女性は家でニットを編み、男性は海へ漁に出て生計を立てるという暮らしぶりでした。

島々で、アランニットを編んでいるおばあちゃん達にも会い、話を聞き、実際に編んでいるものや古い写真を見せてもらいました。皆、編む作業に向き合う姿勢がとても自然で、「ニットを編むのは常識。なんてことないのよ」というスタンスでした。厳しくも美しい自然だけに囲まれ、何にも急かされず編んでいる姿が強く印象に残りました。そうした気候風土や現地の方の人柄に触れ、気持ちがナチュラルになったことも影響し、これまでのようなエッジの効いた明るい色ではなく、アラン島で見た風景や空気感をニットに表現しようと決めました。

・左、右: 「記憶の中のセーター」2015-16AW

   
――2015-16AWでは染めはグラデーションではなく色が重ねられていますね。実際に着ると色が浮いて見え、着ている本人と外からそれを見る人とでは色の見え方が異なるのがとても良いと思いました。
ありがとうございます。今回の染めは岩のテクスチャーだったり、海の光の当たり方だったり、アイルランドでみた風景を思い起こす美しい染めで、私もとても気に入っています。染料と顔料を重ねて染めることで角度によって見え方が異なるのが特徴です。初期は全てのニットを自分一人で染めていたのですが、買い付けから補修、染め、編み直しやプリントまでの作業を一人でしていると全く時間が足りない。年間の半分はニットに付きっ切りでした。昨年からは染工場さんに一部の染をお願いし始め、今季から全面的にお願いするようになり、自分ではできない新たな染めの技術を取り入れられるようになりました。

――素材となるニットはどのように調達しているのでしょうか。
ヴィンテージニットを買い付けています。アランニットは輸出がメインで、ほとんどがヨーロッパやアメリカに出てしまっているので、私はアメリカ、ヨーロッパに出てさらに日本に来たものを買い付けています。今季はアイルランド産の手編みのものだけと決めて選んでいます。

――ニットのシリーズは藤澤さんがこれまで手がけてきた作品の中ではどういった位置付けでしょうか。
ニットのシリーズは、プロジェクトとして継続していて、これまで手がけてきた作品とは別物という印象を持っています。特に私が扱っているニットはアランニットということもあり、がっしり、むっくりした感じがある。これまで私が扱ってきた0.0何ミリの世界である薄い生地とはかけ離れた対象だけれど、テキスタイルというキーワードでつながっているという感覚です。

・「記憶の中のセーター」2013-14AW ©奥山由之

   
――では、これまで扱ってきた薄い素材とは性質の異なる素材としてニットに着目されたということでしょうか。
それもありますが、素材としてニットを扱い始めたのは、ウールやシルク、コットンなど様々な素材と技法の結び付け方を試していった結果です。古着を素材にした作品を制作していた時期があって、スカートからジャンパーまで、ありとあらゆるアイテムに加工を施す実験していました。その時に、ウールのニットの染まり付き方にピンときたんです。特にアランニットは凹凸があるので、凸の部分だけ箔をのせたら面白い見え方になるとひらめいて。
最初はモヘアやビーズの付いたニットなども扱っていたのですが、最終的にアランニットにシフトしていきました。アランニットの模様は日本の文様にとても親しい部分もあり、自分の感性にも近かったのだろうと思います。

――2013年3月開催したエキシビション「シースルー」では5人のミューズのために制作したアイテムを来場者向けにオーダー制作されています。2015年3月の展示会でもサイズやデザイン、色、箔の場所など個々人の好みに合わせてかなり細かく注文できるようになっていました。実際に制作される際には、オーダーした人のことなどを思い浮かべたりするのでしょうか。
そうですね。それがモチベーションになることが多いです。お店で売られることでYUKI FUJISAWAを知らなかった人が手にとって着てくれることはとても嬉しいことですが、売れたという事実だけでその後の反応が分からず、誰がどのように着てくれるのかわからないことについて悩んでいた時期もありました。オーダー票を見ながら、こんな風に解釈してくれた、この部分を気に入ってくれたと思い浮かべると作る気力が湧いてきます。

・「シースルー」2013 ©山本渉

   
――アラン島を訪ね、アランニットを実際に作っている人に会った上で、それを日本に持ち帰り、さらに着る相手の顔が分かった上で受け渡されている。作り手と使い手がしっかりつながる形でモノが受け継がれていますね。とても大事な作業ですし、店で作り手の顔がわからないまま服が売られることが当たり前の中で、とても良い売り方だと思いました。
ありがとうございます。通常のファッションブランドと異なるアプローチをしている点を面白く捉えていただけることが多いなと最近よく感じます。自分自身、服を選ぶ時は思い出も一緒に購入することがほとんどなんです。例えば、スカート1枚にしても、父親とあのお店へ行って買ったものだ、あの日は天気も良くてあそこでランチして…と楽しい思い出が付随していて、そのスカートを見るだけで楽しい記憶を思い起こす。また、今度はそのスカートで特別な日を過ごして、新しい思い出が生まれたり。そういうことが幸せだったりするのです。他の人から見ればただのスカートだけれど、私にとっては思いが詰まった大事な存在になっているんです。私のニットも思い出を貯める装置になったらいいなと思っています。

特に温もりの感じられるハンドニットは流行り廃りがなく、人から人へと受け継げる感じが好きです。昔の人はニットを解いて違うものに作り直したりしていましたが、直しやすい素材なので、継ぎ接ぎして東北のボロのようになっていくのもいいですね。2015年11月から、箔のお直しサービスも始めました(詳しくはYUKI FUJISAWAのウェブのトップページから「repair」の項目をご覧ください)。最初に買った時のシルバーの箔が落ちたら、また次はゴールドにプリントし直して、自分の子どもに受け継いでいくといったこともしてもらえたら幸せですね。

・「記憶の中のセーター」2015-16AW ©山本渉

   

日本の産地、工場の技術とのコラボレーション

――今後に向けて、どういった活動を予定されていますか。
今後の活動としては、日本の工場さんの技術とどう協業していくかに関心を持っています。プロダクトとしては傘に注目しています。テキスタイルは2Dから3Dまで幅広く展開できますが、中でもテキスタイルがメインでかつ実用的なプロダクトを考えた結果、傘に行き着きました。傘は布と骨組みから成りますが、テキスタイルデザインが特に問われます。日本には梅雨もあり、近年は日傘の需要も多い。そう考えると、傘はとても魅力的な媒体だなと思ったのです。

――傘のテキスタイルはどういったものになる予定ですか。
自分がしたい表現や作りたいデザインありきではなく、まずは産地や工場の持つ技術に向き合い、どういうデザインにすればその技術が一番美しく見えるかという発想をしていきたいと思っています。今、工場巡りをしていて、この間はほぐし織りの工場や、持ち手を制作するアクリル工場を訪問しました。

――日本の産地や技術に以前よりも意識が向いてきていますよね。
2年前にコロモザ(coromoza)で観た「日本の染と織」という映像がきっかけです。兼ねてから日本の産地の行く末を案じる声を耳にしていましたが、自分は現場を知らないこともあって「こんなちっぽけな自分に何ができるのだろう」と、現実的な問題として捉えられていませんでした。ただ自分がテキスタイルに携わっている限り、いつか直面するだろうとは漠然と感じていました。

そんな折に「日本の染と織」を観ました。60年程前の映像で、美しく豊かな風景、人々の暮らしに根付いた全国各地の染織が記録されています。言葉には表せないほど素晴らしい映像で、色褪せたカラー映像も郷愁を誘います。
記録されている染織は、その土地の自然で培ってきた素材を使っている場合が多く、その土地と共存しているんです。一つ一つの工程は労力のかかるものばかりで、例えば大島紬では卒倒するような手間がかかっています。現在なら機械化されているような、染液の原料となる車輪梅の枝割も斧でひとつひとつ割っていたり、どの場面も驚きの連続です。そうして時間をかけ、何人もの人の手を通し、1枚の布になっていく。染めも織りも、黙々と作業を繰り返していく人々の粘り強い姿には感動します。仕上げるのに数年かかるといった驚くようなことが、当然のようにナレーションでは語られています。

しかし、こういった素晴らしい技術は時代と共に淘汰されていき、道具や材料も失われていて、とても惜しく悔やまれます。自分が少しでも貢献できることがあったら絶対にやらなくてはと使命感に駆られました。具体的には、東京を拠点に色々な産地へ赴き、工場さんとコミュニケーションを図りながらものづくりをするという方向性が見えてきたのです。それ以来、産地に意識が向くようになり、仕事の合間に産地を訪問したり、地方へ出張がある際は必ずその土地の工場さんにアポイントを取り、見学させていただくようにしています。現場を見て学ぶことはとても多く、まずは染織について改めて勉強しているところです。

――藤澤さんの手掛けるプロダクトは、古着など誰かが作ったものを染めたり、プリントを施したりすることで、新しい命を吹き込み、違う表現に持って行く点が面白い。その表現が今後どう展開していくのかとても気になりますが、ご自身にとって、表現の帰結としてプロダクトがあるということなのでしょうか?
ありがとうございます。最終的にプロダクトにしていくのは、人と関わることが好きだからです。自分がデザインしたものを通して誰かとコミュニケーションができるのはとても幸せです。ヴィンテージの素材を使うのは、自分が服を作れないことが発端だったのですが、今はヴィンテージの魅力を、染色加工を通して変換していく「NEW VINTAGE」のシリーズも、もっと追求したいですね。

ただ、今後のYUKI FUJISAWAは必ずしもテキスタイルを用いたプロダクトだけではなくなると思います。私自身の肩書はテキスタイルデザイナーであり、YUKI FUJISAWAはテキスタイルのレーベルとして動き始めています。今後はアートワークとしての提供など、テキスタイルデザインの活動にも力を入れていきたいと思っています。服はその中の表現媒体の一つとしての位置づけです。あくまでも「ファッションブランド」とは謳っておらず、テキスタイルを用いた表現の一つとして、古着の「NEW VINTAGE」シリーズがあったり、花飾りやコラボレーションの商品があります。服以外のこれからの展開も楽しみにしていただけたらうれしいです。

・「ドゥーブルメゾンへの図案提供、制作」2015 ©SOEN ©doublemaison

・「東急ホテル ファブリックデザイン」2014

・「映画『乾き』衣装提供」2014 ©「渇き。」製作委員会
   

藤澤ゆき(ふじさわ・ゆき):
テキスタイルデザイナー。
YUKI FUJISAWA: Textile Design,Products label
記憶、感情や愛などの「目に見えないもの」をテキスタイルで表現するレーベル。手作業の染色による一点物のファッションプロダクトを始め、ファブリック、アクセサリー、広告など幅広く活動。
http://yuki-fujisawa.com