interview 009: AKIKOAOKI

アンビバレントな感情をめぐって

AKIKOAOKI

AKIKOAOKI(アキコアオキ)は、明確なシーズンテーマを敢えて設定せずに、というか、言葉にしてしまうとこぼれ落ちてしまいそうな、曖昧で複雑で繊細な感情を表現しようとする。例えば、2016SSシーズンでは、大人の女性になる一歩手前の、不安定な心情をイメージした。大人でも子どもでもない過渡期の、行き場のない苛立ちや焦燥感。愛情と嫌悪が入り混じった感情。「理屈ではない、辻褄の合わない感情に惹かれる」とは、デザイナー青木明子さんの談だ。インタビューのなかで何度か出てきた、「湿り気」「湿っぽさ」というフレーズが妙に頭に残った。

「アンビバレンス(ambivalence)」=同一の対象に対して、愛と憎しみのような相反する感情や態度が同時に存在していること。
(収録:2015/4/20, 2016/2 *聞き手:菊田琢也)

   

大人の女性になる手前の、不安定な感情

――2016SSシーズンについてお聞かせください。青木さんは毎シーズン、一言では説明できないようなテーマ(のようなもの)を設定していると思いますが、今回はどのようなイメージで制作されたのでしょうか?
女性のマインドには理屈ではない、辻褄の合わない感情がたくさんあるように感じます。自分自身でもどうにもコントロールできない類のものです。そして、それは本来、誰しもが持っているものであり、私は誰かのそういった瞬間を見ると良い意味でドキっとします。統制の取れた人より、よっぽど魅力的に感じます。しかし、大人になっていくうちに我慢や理解の幅は広がり、そういったものは失われていくように思えます。2016SSシーズンはそうしたものから、「反抗期」をイメージにスタートしました。大人の女性になる手前の、まだ自分自身をうまくコントロールできない人物像です。

何かに対するイラつきや嫌悪感、それと同時に、同じものに対する愛情。一見全く逆のものが、表裏一体で存在するという矛盾です。ドレッシーだけれど下着が透けていたり、前から見ると普通のタンクトップが後ろはテープだけで支えられているものなど、不安定な衝動を意識して制作しました。

――ランウェイ・ショーでは、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を選曲されていました。アメリカ西海岸の空気をイメージしたそうですが。
今回の人物像には、渇いている印象がありました。「ホテル・カリフォルニア」のギターの音が乾燥したテクスチャーに感じられ、今回の焦燥感に合っている気がして選びました。

・AKIKOAOKI 2016SSシーズン
   

――素材や細部などにおいて、これまで以上に作り込んでいる印象を受けました。東京製革業産地振興協議会のファッション・ショー「PIGGYʼ S SPECIAL」にも参加されていましたね。
現在、スタジオを構える台頭デザイナーズビレッジが、革産業が盛んな台東区にあることもあり、今回参加させて頂きました。革を使用するのは初めてだったのですが、素材そのものに特色があるため、多くの発見がありました。また、2016SSコレクションでは鞄やベルトといった小物を初めて制作し、そうした洋服以外のアプローチに踏み出せたことは大変貴重な経験だったと思います。

――また、今シーズンから「東京ニューエイジ」のメンバーと合同で、東京コレクションにデビューしました。発表してみての感想は?
これまではインスタレーションだったり、ショーも少し特殊な空間でやっていたので、世界観を伝えやすい環境だったのだと改めて思いました。今回、渋谷ヒカリエのホールBという、いわゆるランウェイのための場所で初めてショーをしてみて、正直、とても難しさを感じました。シンプルな道、服を纏った人と音楽、光以外、何もない環境です。しかし、だからこそ服そのものに宿る力がこれまでより露わになります。それは個人的に強化していきたい部分でしたし、今回こうした発表の仕方ができたことは大変貴重な経験だったと感じています。

同時に、東京ニューエイジとしても個人としても、発表の仕方についてこれまでよりもっと模索していく必要があると感じています。また、当たり前なのですが、東京コレクションという舞台はやはりこれまで以上に多くの方の目に触れる機会なのだと改めて思いました。

・AKIKOAOKI 2016SSシーズン
   

「性的なもの」をめぐる感覚

――AKIKOAOKIの服は、「少女性」との関連から言及されることが多いのではと思います。例えば、1stコレクションにあたる2015SSシーズンは、学校制服とランジェリーをテーマにされていました。
2015SSシーズンについて、「性的だ」という声を男性から頂くのですが、個人的に性的なことをしている意識は当時はあまりありませんでした。男性がセクシャルだと思うポイントが正直わからなくて、そういうところに感じるんだなと、言われてから気付くことの方が多いです。自分のなかの記憶や、いま良いなと思う人間像の延長として、「少女性」というのがあるのだと思いますが、意識して少女っぽい感じにしたいというのではないですね。

15年間女子校に通っていたので、その影響は大きいとは思います。女子校に通っていた頃に普通だと思っていた感覚が卒業してから周りに驚かれることが結構あって、そのなかでも特に感じるのが、女子校の女の子たちよりも共学の女の子たちの方が「恥ずかしい」と感じるポイントが多くあるということです。例えば女子校内ですと、人にも寄るとは思いますが、女の子同士、目の前で着替えあったり、お風呂に一緒に入ったりすることはそれほど恥ずかしいものではありませんでした。男性の先生がいても、先生の前で普通に着替えちゃうんですよ(笑)。ファミリーみたいな気分でいるので、全然気にしない。その感覚が、共学の子たちからするとありえないみたいで、私からするとあえて意識するにも及ばないくらい自然なことだったのですが、普通ではないんだなと(笑)。

・AKIKOAOKI 2015SSシーズン
   

――女子校には、女の子同士で手をつないだりするといった行為が、ある種当然のものとして許容されるような空気がありますよね。そういった少女共同体内に漂う独特の空気を、2015SSシーズンでは、制服とランジェリーを使って表現しているのかなと思いまして。それを踏まえてなのですが、2015-16AWシーズンでは、どちらかと言うと「男性性」の要素を多く感じました。実際、メンズの素材を多用したということですが。
千鳥格子やヘリンボーンといった柄や、ツイードなどの素材を使用しました。パンツも小学生の男の子が制服で着ているようなショートパンツや、ドレスシャツなど、少しクラシカルなものを意識しました。

2015-16AWの少し前くらいの時期に、自分がこうなりたいという憧れの対象が、女性よりも男性であることが多かったんです。実はその時はアイドルの男の子だったんですけど(笑)。でもそれは、恋愛対象や性の対象ということだけではなくて、例えば小さい女の子がセーラームーンになりたいのと同じように、理想の人間像の先にいるのがたまたま男の子だった。別に男性になりたいとかではないんです。人間像だったり、佇まいだったり、魅力的だなと思うイメージの延長に男性がいた。性の対象と、自分がこうなりたいと思う人間像が、同じ1人の人にあるというのは不思議な感覚でした。

――なるほど、興味深いですね。
西洋の絵画に、一人の男性の周りに女の人が群がっている構図のものがあるんですが、それを見たとき、その男性を生贄のように感じました。周りの女性ももちろん綺麗なのですが、より魅力的に感じてしまうのは中心の男性の方だったんです。

小さな男の子に大人の女性たちが群がっている絵もありました。日本で言う「ショタコン」のような感覚に近いんでしょうか? 生贄という感じが、すごく儚い。自分は女性なので、男性のなかに良いなと思う人間像があっても絶対になれない。絶対に詰められない距離というのが、逆にロマンチックだと思っています。永遠に手に入らないものへの憧れというか。対象との距離を詰めていって、それが自分のものになってしまうと、それで満足してしまうところがあったりしますよね。生贄というのも、もともとは何かを願って捧げるものだと思うんですけど、そういった神聖さと、詰められない距離として存在する男性は、自分のなかでつながっているところがあります。

――「生贄」と言うと、「絶・絶命」展(2015)の展示が祭壇に捧げられた生贄のような光景に見えました。
正に「絶・絶命」展でのインスタレーションは生贄をイメージしていました。透明なアクリル板に水滴のテクスチャーを作り、そのなかに生身の人間が展示されている。亜熱帯植物などを置いて湿気を感じさせるものに仕上げました。モデルたちが着ている服は、どちらかと言うと全く湿っぽさを感じるものではないのですが、そういう服を着ては絶対に行かないような場所に入れられていると。(モデルが)自分の意思でそこにはいるわけではないという印象を作りたかったんです。

このシーズンのルック写真も、熱帯雨林の植物が生育する場所で撮影をしました。湿気感もそうですし、熱帯植物自体の形が性的印象だったり、そうした佇まいがあるように感じます。そういった意味では2015SSよりも、個人的には性を意識していたのかもしれません。アイドルに対しても生贄っぽい感じを受けるんですね。アイドルはいろんなものを犠牲にしながら活動していて、その代わりに輝いていて、周りに女の子たちが群がって、きゃーっと言われている存在じゃないですか。

――少女って、「清く正しく美しく」といった振る舞いを押し付けられるようなところがあって、性を露わにすることが禁忌というか、隠すことが求められる。アイドルもそうで、常に清純さが求められる存在ですよね。

・AKIKOAOKI 2015-16AWシーズン
   

――ちなみに、毎シーズンのコレクションテーマは設定されないのですよね?
題名みたいなものは付けませんが、シーズン毎にイメージはあります。2015SSシーズンは、自分の生い立ちからそのまま持ってきていて、2015-16AWシーズンはいまお話したようなイメージです。

――コレクションに題名を付けないというのは意図的にですか?
一言で表現するのが難しいんですよね。いろんな要素が混ざってイメージになっているので、一言では上手くまとめられないというか。それから、こちらから題名を付けてしまうと、印象が多少なりとも固定されてしまうので。ファースト・インプレッションは、見てくれる人それぞれの解釈の方がおもしろいし、わたしも逆に聞きたいんです。

――漠然としたイメージというのがあって、そこからデザインに起こしていくと。
そうですね。作っていくうえでは、その服を着ている人物像がどういったものなのかが一番強くあります。服のディテールやシェイプなどに関しては別のリサーチやイメージがありますが、一番大切にしているのは人間像そのものです。

・AKIKOAOKI 2015-16AWシーズン

   

ファッションを「生きる行為」と捉える

――ファッション・デザイナーを志すようになるのはいつ頃からですか。
最近、小学生の頃に書いた文集を読み返す機会があったのですが、「将来の夢はファッション・デザイナー」と書いてあって、幼い頃からずっとなりたかったみたいですね。

幼稚園から高校まではカトリック系のモンテッソーリ教育の女子校に通っていました。校則がとても厳しい学校で、今思い返すと独特のルールで結構おもしろい学校だと思うんですが(笑)。5、6歳の子供にとっては、それが生活や外部との人間関係の大半を占めていたので、わたしはいろいろ生きにくかった感覚があります。悲観的な子供でした(笑)。あれもダメ、これもダメといった感じで。そんな中、唯一、自分を表現できたのが、学校以外でのファッションだったんです。なので、子供の頃から私服は自分で決めていました。それで親と意見が食い違って、買ってもらえないこともよくありましたね(笑)。

それから、祖母や母が自分の服をオーダーして作るような人だったので、幼い頃から衣服という存在を大切に扱っている姿を見て育ちました。物自体を大切に扱うというのもそうですが、自己と装いへの態度という意味でです。その流れで、祖母が着ていたものを母が譲り受け、私まで、というのもあります。物に対してもそうですが、身に着けるという行為にある種の敬意がある印象でした。そういったことは、もしかすると影響があるのかもしれません。

――大学は女子美術大学ですよね。ファッション・デザイナーを目指しつつも美大に進学した理由は?
中学・高校と美術部に入っていました。そのときはまだファッションの背景に広い世界があることを知らなくて、コンセプトや文脈といった点で広がりのあるアートに興味があったんです。高校生のときに、会田誠さんの存在を知って、なんだこの人は!?と思いました(笑)。それをきっかけにギャラリーに通うようになって、アートって面白いなと。それで、美大に進学しようと考えました。でも、ファッションをやりたいという気持ちもあったので、両方学べる所を探した結果、女子美術大学に進学することに決めました。

ファッションでもそういうことができないかなと思ったんですね。着るとか着飾るとか以上のものがファッションにはあるのではと考えるようになりました。ファッションってもっと人間臭いものというか、汚い部分があってもいいし、メチャクチャであってもいいし。ちょうどその頃、21_21 DESIGN SIGHTで開催されていた「ヨーロッパで出会った新人たち」展(2007)を観て、山縣良和さんや坂部三樹郎さんの作品を見て衝撃を受けました。現ヴェトモンのデザイナーであるデムナ・グバサリアも、その当時、同展に参加していました。展示での表現もデザインそのものもすべてが新鮮で、これをファッションとしてやっている人がいるんだと、とてもうれしくなったのを覚えています。それまで学生ながらに「これがファッションです」と提示されているものに対して、何かしら違和感を覚えることがあったのですが、それが一気に消えた瞬間でした。これこそファッションだな、と。

――ブランド・コンセプトにある「ファッションを生きる行為と捉える」というのは、そういった経験から設定されたのですね。もっと着る人に寄り添った服作りをしていきたいと。
大学を卒業して、ロンドンのセントラル・セントマーチンズのグラデュエート・ディプロマに進学したときに、そうした思いがより強くなりました。ファッションがよりリアルなものに感じたというか、人生そのものや着るひと本人の一部になっていて、とても強いものとして感じることがありました。私が留学していた時期は、イースト・ロンドンのユースカルチャーがまだ盛り上がっていて、若者たちが何気なく着ている古着やTシャツも確かなファッションになっていました。服が生きていたというか、その人のファッション性としてすごく強かったんですね。コンセプトとかも何もないのに、とにかく格好良かった。街に合っていたし、ライブ感がありました。

現に自分自身、ロンドンでの装いと、東京での装いは違います。何でかはわかりませんが、ロンドンで着ていたものをそのまま東京で着ると違和感を覚えるんです。リズムに合わないというか。そういった経験から、服という物以上に、生きる行為そのものになるようなファッションが提案できたらいいなと思っています。

・AKIKOAOKI 2015SSシーズン, 2016SSシーズン
   

――それで、まず最初に、2015SSシーズンのようなイメージに辿り着くわけですね。自分が生きてきた体験に引き寄せてファッションを考えたときに、女子校時代の制服だったと。
自分がどうしてファッションをやりたいと思ったのかを改めて考えたときに、先程お話しした通っていた女子校での厳しさが根底にあったので、1stシーズンということもあって、自分のファッションの主軸にあるものをやりたいと思い、プリーツや制服をベースにしました。

――制服を部分的に解体したりしていて、定形のかたちを分解していくようなデザインが気になりました。
はい、重ねないとなかなか着れないアイテムが多く、1枚では成り立たない服としての未完成感を意識しています。パーツっぽいイメージというのをやりたかったんです。

――隙間からちらりと覗くランジェリーっぽい要素が、男性から性的に捉えられたりするのでしょうね。
隙間から見える要素は、性的というよりは弱さみたいなものを表現しています。制服って戦闘服ではないですけど、がっちり守られていて、統制をとる上で隙がない感じだと思うんですが、意図しないところから隠しきれていない本質が見えてしまっているイメージです。また、制服の隙間から覗くものとしてランジェリーっぽい要素を置いたのは、身体に1番近いところで纏うもののアイコンとして、そうした生身っぽさをあえてぶつけたかったからです。

――紐状のデザインも多用されていますよね。
これは、幼稚園の頃のエピソードが元になっていて、お昼の時間にお弁当を食べ終わった子から、壁にぴっとセロハンテープで貼られた毛糸をひたすら三つ編みをするという謎の習慣があったんです(笑)。全員食べ終わるまでは、それをしながら待っていなければならない。他の選択肢はありません(笑)。紐という要素は、そこから引用しています。また、何かを縛る、拘束するといったニュアンスも含んでいます。それで、2015SSシーズンでは、紐を編んだピンクのアクセサリーや、衣服にも紐を結ぶといった要素を取り入れました。

――太宰治の「女性徒」(1939)という短編小説に、主人公の女学生が自分の下着に小さな薔薇の刺繍をして、「私だけしか知らないおしゃれ」とひっそり喜ぶ描写があります。男性や外部の人たちは決して気付かないけれど、同じ共同体に属する女の子たち同士はその秘密を共有し合っている。そんな秘め事のような感覚を、2015SSシーズンには感じました。
一つエピソードをお話すると、私の学校の制服はネクタイが二重になっていて、その間に「御メダイ」というのを好きに付けられるんです。マリア様や天使が描いてあるんですけど、それをブローチみたいに付けるんです。結構種類が多くて、自分の好きなモチーフや色の御メダイを選ぶことができました。普段、外からは見えないのですが、こっそりと友だち同士で見せ合うのがとても楽しかった。ただ、友だちと御メダイが被るとすごい嫌なんです。唯一の個の主張なので(笑)。

・AKIKOAOKI 2015SSシーズン
   

――Lamp harajukuのウィンドウ・インスタレーションでもマリア像や十字架を展示していましたね。
家出をした女の子、その主人の帰りを待っている部屋をイメージしています。西洋の宗教っぽさがあるのは、自分の経験から引用しています。

――小説も置いてありましたが、あれは?
あれは実際に私の部屋にあった小説です。女の子の部屋にありそうなものを散りばめて、ついさっきまでその子がそこで生活していたような跡を作りました。

――他者から与えられた「少女らしさ」に嫌気がさして、そのイメージだけを置いて、どこかに行ってしまったような印象を受けました。
正にそうですね。学校の校歌に「清く正しく美しく」という歌詞があったのですが、当時はそれがイコール、ルールを守るに直結しているように感じられました。でも本来、人間ってもっと欲があるし、過ちも犯します。でも、そうしたものは良くないものとして除外されていた記憶なんです。そこにはカトリックという西洋的な神の解釈も関わってくるのだと思います。唯一絶対神であり、正義か悪の二択であることもありますね。

私はそれがとても苦しかったんですね。どうしても矛盾なんです。子供なんで、善悪二択以外の事態も起こってしまいますし、実際、そうした分けきれない感情も自分の中に存在している。でも、先生たちは、どうしてダメなのかまでは教えてくれないじゃないですか。ルールだからダメですと。でも、そこに疑問を持って反抗しても拾ってくれないんですよね、環境的に。それが虚無感になっていた部分はあります。自分の中にある欲求と現実のルールのギャップがどんどん広がり、本当の自分がどこにあるのか、次第にわからなくなってしまって。なので、あのディスプレイは、そうした誰かに与えられた「こう在りなさい」という現実から逃げ出したイメージです。

・Lamp harajukuでの展示風景、2015年
   

・AKIKOAOKI 2015SSシーズン
   

着用者の人生にコミットできる服を

――これからやっていきたいことは?
これまでと変わりなく好きなものを作っていきたいと思ってはいます。でも、好きなものというのも変わっていくものだと思いますし、変わっていくということを怖がりたくない。やはり、人がその時に、好きなものや良いと感じるものは、自然と時代観につながっていると思うので、そうした変化を感じとれる人間でありたいとは強く思います。

やりたいこととしては、私が作った服を実際に着る人がいて、誰かの人生に取り込まれたときに、もっとそこに強くコミットしていけるものを作っていきたいと思っています。それから、東京ニューエイジが、若手のデザイナーたちが何かしらの価値観の更新だったり、新しいものを見せられるような場所になったら良いと思います。

――2015SSシーズンはロンドンでも展示会をされていましたよね。日本とロンドンとで反応は違いましたか?
山縣さんがキュレーションを手掛けた若手デザイナーの合同展示にAKIKOAOKIも参加しました。やはりヨーロッパでは、日本からのクリエーションは独特に映ると思います。個人的見解ですが、東洋の湿り気は向こうにはあまりない印象で、もっと軽いです。なので、デザイナー個人の生い立ちや背景がモロに出た時の、その出方や、物そのものの特色が、向こうではカウンターになると思います。例えば、2015SSのモチーフにもあった学生服は、日本だと女子高生のようにある意味で既にキャラクター化されている部分もあり、概念としてある程度共通のファッション性があると思います。でも、西洋では学生服というモチーフはまた違った受け止め方があると思います。

私自身、そういったものをミックスしていきたいという意識はあります。向こうの軽さや感覚もとても好きですし、いつかはそこで勝負ができるようになりたいです。しかし、そこにそのまま乗っかっていくのもまた少し違うのかもしれません。かといって、アジアの特色だけでも難しいと思います。私がロンドンにいて日本人として感じたことは、結局、日本人として評価されるものは「西洋っぽいもの」ではなく、向こうにはない特有の価値観をいかに見せることができるかだと思いました。

・AKIKOAOKI 2015SSシーズン
   
青木明子(あおき・あきこ):
ファッション・デザイナー。
1986年、東京都生まれ。2009年、女子美術大学ファッション造形学科卒業後、ロンドンのセントラル・セントマーチンズにてファッションを学ぶ。帰国後、コレクション・ブランドでアシスタントの経験を経て、2014年10月よりウィメンズウェア「AKIKOAOKI」として、東京ニューエイジに参加。Mercedes-Benz Fashion Week TOKYOにて2015SSコレクションを発表。
http://www.akikoaoki.com