Think of Fashion 025

ポール・ポワレ ライフスタイルブランドの先駆者

講師:朝倉 三枝(神戸大学国際文化学部准教授) 

2015/3/8

1906年にコルセットを使わないハイウエストのドレスを発表し、20世紀ファッションに新たな方向性を示したポール・ポワレ。彼は、ブランドの世界観を衣服から生活全般に広げ、ビジネスとして展開した最初のデザイナーでもあった。

若手アーティストとのコラボレーション、デザイナー初の香水、デザイン学校やインテリアショップの運営など、従来のファッションデザイナーの域を超え、衣食住に及ぶ幅広い活動を展開したポワレの足跡をたどりながら、ファッションを軸に豊かな生活を提案するライフスタイルブランドがどのように誕生したかを考えてみたい。

レポート

ファッション史を学んだり、あるいはその手の内容の本を読んだことのある人であれば、ポール・ポワレの名を知らないはずはない。1906年にコルセットのないドレスを発表し、1910年代初頭に異国趣味的なスタイルを打ち出してパリのモードに鮮やかな色彩を持ち込んだことは、ファッション史におけるポワレの功績として今まで多く語られてきた。「コルセットからの解放」を成し遂げた同時代のデザイナーは他にもいれど、当時ポワレが「モードの帝王」と呼ばれていたことを考えれば、ポワレには群を抜いて光るファッション・デザイナーとしての資質があったに違いない。

しかし、今回のThink of Fashionで浮かび上がったポワレの姿は、ファッション・デザイナーの枠から大きくはみ出た、今でいうクリエイティブ・ディレクターのような姿だ。神戸大学国際文化学部でファッション史を教える講師の朝倉三枝氏は、今まであまり知られてこなかったポワレの活躍を「ライフスタイルブランド」という言葉を切り口に提示してみせた。服だけでなくブランドの世界観を反映させた生活そのものを売るライフスタイルブランドは今でこそ身近な存在になったが、ポワレはその先駆者としてすでに20世紀初頭、様々な取り組みをしていたのだ。

冒頭で述べたようなポワレのよく知れた略歴を踏まえた上で、まず最初に朝倉氏が語ったのは、最新アートを取り込んだポワレのブランド戦略についてだ。同時代のアートに興味があったポワレは、多数の芸術家とのコラボレーションによって、衣服の制作のみならず、ブランドのイメージ作り、知名度の向上を行っていたという。会では、イラストレーション(ポール・イリーヴとジョルジュ・ルパープ)/写真(エドワード・スタイケン)/テキスタイル(ラウル・デュフィ)の3分野におけるコラボレーションを取り上げていたが、他にも多くのコラボレーションを実行していたらしい。

驚きだったのは、芸術家とのポワレのコラボレーションが、ファッション史におけるあらゆる取り組みの先駆けとなっていたことだ。ポール・イリーヴとジョルジュ・ルパープによりポショワール技法を用いて描かれたポワレの新作コレクションのアルバムが発表されたのは、それぞれ1908年と1911年で、いずれも1912年に始まるファッション・イラストレーションの全盛期より先駆けている。ポワレがエドワード・スタイケンにファッション写真を依頼したのは1911年で、一般的にファッション写真の原点といわれるアドルフ・ド・メイヤーがVOGUEの専属カメラマンになった年(1914年)よりも早い。元々フォービスムの画家であったラウル・デュフィがポワレに木版画を応用したテキスタイル制作を依頼されたのは1911年であり、その後デュフィは大手テキスタイル・メーカーと契約し、アール・デコを代表するテキスタイル・デザイナーとなったのである。

また、朝倉氏が指摘したのは、ポワレがコラボレートした芸術家は、当初まだ名の知れていない芸術家ばかりであったということだ。これが現在のビッグネーム同士のコラボレーションとは異なる点であろう。先見の明をもって、当時の若手アーティストの発掘と後押しにもポワレは寄与していたのである。

続けて、ポワレのデザインの対象が衣服から生活空間へと広がっていったことを朝倉氏は語る。1911年にメゾンの宣伝のため、ベルリン・ウィーン・ブリュッセルへと渡ったポワレは、ウィーン工房※の活動に感銘を受け帰国する。帰国したポワレは、先に述べたデュフィとのコラボレーションでメゾンのオリジナル・テキスタイルの制作をするにとどまらず、1911年には香水ブランド「ロジーヌ」を設立(シャネルの「No.5」が発売された1921年よりだいぶ早い)。加えて、デザイン学校「エコール・マルティーヌ」を設立すると、その学校に通う少女らを集めてインテリア工房兼ショップ「アトリエ・マルティーヌ」を設立した。

宣伝旅行当時、ポワレが生まれたフランスより先のヨーロッパの国々はデザインにおいて教育の面でも進んでいたそうだが、その様子を見て自国に帰り一人で実行に移してしまうポワレの行動力は凄まじい。

1925年にパリで開催されたアール・デコ展では、ポワレはセーヌ川に3艘の川船を出展した。《愛》、《オルガン》、《悦楽》とそれぞれ名付けられた船の中で、来場者は壁にかけられたタペストリーに描かれているポワレの新作を見ながら、美味しい食事を堪能し、最新の技術と整えられたインテリアに触れることができた。まさに衣食住のトータル・コーディネートがなされた空間であったという。

このようにトントン拍子で事業を展開していたかのように見えるポワレだが、実際は事業にかける経費を惜しまずにいすぎたために、1929年にはメゾンを閉店することになってしまったそうだ。しかし、その事実はポワレが純粋に人を楽しませることに全霊をかけていた人物であったことを意味するだろう。結果的に店を畳むことにはなったが、朝倉氏が言う通り、ポワレは20世紀初頭にブランドの世界観を服から生活全般に広げ、ビジネスとして成功させた最初のデザイナーであった。

ファッション史の歴史認識を改めさせられると同時に、この会を通して考えさせられたのは、人々の「おしゃれなもの」に対する意識の範囲は、100年前と大きく変わってはいないということの不思議である。この不思議を逆手にとって、その意識の範囲を変容させられたなら、また新しいファッションの世界が切り開けそうな気がしてならない。

※1903年に設立されたオーストリアのデザイナー集団。アーツ・アンド・クラフツ運動を提唱したイギリスのウィリアム・モリスの思想に則り、「総合芸術」の実践を目指した。

Think of Fashion 実行委員会

   

講師プロフィール

朝倉 三枝(あさくら・みえ)
神戸大学国際文化学部准教授。1975年生まれ。パリ第10大学DEA課程修了、お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人文科学)。現在、神戸大学国際文化学部准教授。専門は服飾史、ファッション文化論。
著書に『ソニア・ドローネー 服飾芸術の誕生』(ブリュッケ、2010年)。論文に「ジャンヌ・ランバン―20世紀モードの静かなる改革者」(『fashionista』no.001、2012年)「衣服からクリムトを読む」(『ユリイカ』第45巻第4号、青土社、2013年)など。