「ここに いても いい」展覧会評 #01

鈴木操  彫刻家・文筆家

「ここに いても いい」という展覧会タイトルからは、柔らかい幸福感が優しく漂っている。しかしその半面では、一線を引かれているようにも感じられる。なぜなら通常多くの人々は「ここに いても いい」展の鑑賞を終えたら、会場から立ち去らなければならないからだ。ここにずっといられるわけではない私たちは、いわば“よそゆきの他人”だ。だがもしこのフレーズが「ここに いても いい?」というニュアンスも込められたものなら、話は180°変わる。一般的にこのフレーズが発せられる空間といえば、非常に限定された親密性の高いシチュエーションを想起させる。おそらく少なくとも、対人との距離感への非常にナイーブな配慮と、同時に求心的な態度が生じている瞬間だ。

このように、人の心理に強く働きかけるセリフめいたタイトルからして、この展覧会の主人公たるリトゥンアフターワーズ/山縣良和の、私たちをただの観客としては帰さない心づもりが伺える。

では、いざ展覧会に足を踏み入れてみれば、入場時に「副音声的な展示解説」という山縣の長文のインタビューが掲載されたハンドアウトが渡される。このインタビューで語られた話には、 2011年の東日本大震災、第二次世界大戦、長崎、サンフランシスコ講和条約、シャルリー・エブド襲撃事件、ISILの侵攻、シリア難民、ウクライナ戦争、イスラエルによるガザ侵攻、能登半島地震 などと、歴史的な戦争や災害に関わる事実が、山縣のクリエーションの背景として様々な形で差し込まれる。こうして有事ばかりを並べてみると、わたしたちの社会が如何に苦難に満ちているのかが伺えるし、そうした心理に一瞬で捕らわれてしまう。 

しかしこのハンドアウトの中で語られた世界のネガティブさとは裏腹に、展覧会で展示されている衣服を中心としたインスタレーションは、非常にメルヘンみのある可愛いイメージで溢れている。この乖離はなんだろうか。

これについて筆者が一つ思い至ったことを挙げると、インタビューの語りでは恐れや不安といった心理的苦痛については何回も触れるが、他方で、身体的苦痛についての言及に欠けるということだ。つまりこれこそが山縣のデザイナーとしての職能的心理だろうと思われるし、先ほどの乖離の要因だろう。ただこれは山縣を非難しているのではなく、むしろ「衣服」というものが持つ基本的な性質に、山縣が純粋に条件づけられていることを意味している。というのも、「痛み」と「衣服」 は深い関係にあるからだ。

一般的な知覚の話から始めれば、私たちの眼、鼻、口、耳、指、皮膚、髪、性器云々は、私たちに時折、喜びや快をもたらしてくれる。また何かを、見ること、食べること、触ること、嗅ぐこと、聞くこと、囁くこと云々は、私たちに快をもたらす行為であると同時に、痛みをもたらす行為でもある。過剰な快は痛みに変わることもあるし、その痛みに慣れると快へと変わっていくこともある。他にも例えば痒みは、快と痛みの反復性と分割不可能性が現れている。こういった知覚は私が私の身体のみで成り立っているのではなく、世界と私が共にあることを感じさせてくれる。その意味で衣服は基本的に快適である必要がある。でなければ私たちは世界を遠く感じていることだろう。もしも着衣が苦痛に満ちた行為なら、人類は未だに裸で暮らしていたかもしれない。故に「苦痛」は衣服からもっとも遠い心理と言えるし、逆に「裸体」とは苦痛そのものだ。例えば、キリストの磔刑において、見る人に苦痛を喚起させるイエス・キリストが何故、裸体に近い状態で描かれるのか。その対比として、聖母マリアや天使たちは何故、ドレープたっぷりの衣服を着ているのか、といった事柄も想起させる。他方で、苦痛を快に転換する倒錯的な人間の能力についても、もちろん忘れてはならない。いずれにせよ、こういった一見矛盾する倒錯的欲望も含めて、衣服を纏う行為には、山縣がインタビューの中で語ったように「心のメディテーション」作用があると考えられる。

ところで、私が展覧会に赴いた日は「生き抜くためのファッション教育−coconogaccoのアトリエ から」というトークイベントが催された日でもあった。トークイベントは非常に充実していたが、ここでの内容記述は割愛させていただく。とはいえ、本稿とも深いかかわりがあるものだったことだけは付言しておきたい。なぜならトークのキーワードとして掲げられた「生き抜く」を本稿の思考と照らし合わせてみると、苦痛に満ちたこの世界と私たちとの間で対称性を築くことが、ファッションデザインの一つの目的でもあると、筆者は思ったからだ。でももし仮にそうなのだとしたら、私たちは生き抜くために苦痛の深みと釣り合うだけの喜び・慈しみ・愛・快楽を衣服を通して生み出さなければならなくなってしまう。そしてこの困難に対して山縣は、一貫した態度で解を示してきたと、筆者は感じている。それは「山縣はこの世界で傷つくことをちゃんと恐れている」といった姿勢だ。

この等身大の態度は現代において、とても勇気が必要なことだ。戦争や災害によって生み出される悲しみが吹き荒れる中、その様子は正気であることの証と筆者には映る。ただその一方で、 山縣の様に等身大で傷つくことの難しさ、あるいはその様に居られる場の均衡を維持することの困難について、考える必要もあるだろう。それは何故かといえば、山縣が引き合いに出した戦争や災害によって現実的に生じている恐れや不安といった心理的苦痛が、一体いつのどこの誰のものなのか、それは正確には分からないし、分かりえないものだからだ。また一見してこの分割不可能な苦痛と、山縣が生み出す衣服が、一体どのように関わっているのかについて、山縣自身は特に語っているわけでもない。

実際の戦争や災害が起こっている現場では、多くの人が、どのような立場や地位に自らがいるかに一切関係なく、一瞬のうちに肉体を破壊される危機に曝され続けている、ということが起こっている。こういった私たちの肉体の脆弱性は、精神的・心理的な苦痛へとそのまま直結していく。 そしてこの苦痛は直ちに、その深みへと従わされ、つまり過去の人類の経験を源泉とする残酷な悪夢に拘束される。この深い霧の様な悪夢は、個人が享受できる快楽では到底対抗しきれないほどの苦痛に満ちている。こうしたニヒリスティックな歴史的心理の連鎖からも分かるように、現在において私たちは、個人個別に分割された苦痛を享受しているとは必ずしも限らない。しかし幸い?なことに、この私の肉体は、この身体の痛みと快楽は、“現在の私のもの”である。いったん、この事実において、悪夢とは手打ちに出来ると考えられる。というのも、衣服は“この私が着る”のだから、私にとって心地よくあるべきだからだ。

この真正なる欲望は、私を「わたし」へと立ち返らせる。この「わたし」という存在の反復に自覚的である山縣は、ファッションデザインを新たな次元へと導いている。それは不特定多数へ向けた産業的なファッションデザインから、個人個別の「ここの」表現としてのファッションデザインへの変化だ。そして存在の数と結びつく、ある意味で無限に開かれたこの空間は、これからもより遠くを見据えようとする私たちと山縣に、気持ちの良い“よそゆき”を与え、多くの人々の苦痛と共に往くことを可能にしている。

   
   

鈴木操
彫刻家・文筆家

1986年東京生まれ。文化服装学院を卒業後、ベルギーへ渡る。帰国後、コンテンポラリーダンスや現代演劇の衣裳デザインアトリエに勤務。その傍ら彫刻制作を開始。彫刻が持つ複雑な歴史と批評性を現代的な観点から問い直し、物質と時間の関りを探る作品を手がける。2019年から、彫刻とテキストの関係性を扱った「彫刻書記展」や、ファッションとアートを並置させた「the attitude of post-indaustrial garments」など、展覧会のキュレーションも手掛ける。

主な展示
2024 「(Don’t) Keep It」アートかビーフンか白厨、東京
2023 「fortunes」TAV GALLERY、東京(個展)
2021 「damp plosive roam」mcg21xoxo、東京(企画・キュレーション)
2020 「the attitude of post-indaustrial garments」MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY、東京(企画・キュレーション)
2019 「彫刻書記展」四谷未確認スタジオ、東京(企画・キュレーション)
2018 「open the door, 」 roomF準備室、東京(個展)

   
会場写真 画像クレジット:木暮伸也 Shinya Kigure

   

展覧会について

ここに いても いい リトゥンアフターワーズ:山縣良和と綴るファッション表現のかすかな糸口
会期|2024年4月27日[土]− 6月16日[日]
会場|アーツ前橋(〒371-0022 群馬県前橋市千代田町5丁目1−16)

神話などからインスピレーションを得た物語的コレクションで知られる山縣良和のファッションレーベル〈リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)〉。そのノスタルジックな表現は、〈装う〉心の純粋性を追求しながらも、3.11からの再生を祈った《The seven gods》、ファッション業界へのアイロニーを込めた《Graduate Fashion Show》、戦後と日本人の集団性をテーマにした《After Wars》、コロナ禍の都市を離れ無人島で描いた新しい人間像《Isolated Memories》など、資本主義社会や歴史観への問題提起を大胆に織り込み、常にファッションの領域をこえた注目を集めてきました。また、教育者としても知られる山縣はファッションの私塾〈coconogacco(ここのがっこう)〉を主宰し、参加する一人ひとりが生きる場所や社会を見つめ、「ここ」から独自の表現を立ち上げていく学びと実験の場をひらいています。

美術館で初の個展となる本展「ここに いても いい」では、リトゥンアフターワーズのこれまでの歩みを紹介するとともに、山縣が考える日本社会とファッション表現の〈いま/ここ〉を新作インスタレーションで浮かび上がらせます。「日々ニュースから飛び込んでくるウクライナとガザの悲劇、そして能登半島地震と、個人では消化しきれない歴史の大きなうねりの中で、いま自分が表現できるのはとてもパーソナルなこと」と語る山縣。“writtenafterwards”とは、〈あとがき〉や〈追記〉を意味します。ファッションを通して常に自己と社会に向き合ってきた山縣は、混迷が続く私たちの世界にどんなストーリーを書き加えるでしょうか。

主催|アーツ前橋(〒371-0022群馬県前橋市千代田町5-1-16 / 電話027-230-1144)
助成|日本芸術文化振興会
後援|上毛新聞社、群馬テレビ、FM GUNMA、まえばしCITYエフエム、前橋商工会議所
企画|宮本武典、辻瑞生
制作|磯山進伍、安住陵
空間設計|GROUP、濱田祐史(写真)
講演|石内都、畑中章宏、谷川嘉浩、津野青嵐
グラフィックデザイン|須山悠里、梅木駿祐
ビジュアル撮影|エレナ・トゥタッチコワ
衣装制作|大草桃子、藤田朋浩、細川聖矢、松村紗絵子、山縣早紀
美術制作|小林宗一朗、内山優梨子
照明|丸井通勢
翻訳|ノーマン・チャン
協力|東京藝術大学宮本武典研究室、FashionStudies®、PENSEE GALLERY、ROCCADIA DESIGN AND WORKS、桐生大学短期大学部アート・デザイン学科、亜洲中西屋(ASHU)

(展覧会ホームページ https://www.artsmaebashi.jp/?p=19899 より引用)