Fashion Studies × 日本オリンピックアカデミー研究委員会 フォーラム

東京オリンピックのユニフォーム―赤と白をめぐる「なぜ?」を考える― / 二つのオリンピック ―スポーツがつないだ日系社会―

安城 寿子 (JOA会員:服飾史家、文化学園大学ほか非常勤講師) / 小嶋 茂(JICA横浜 海外移住資料館 学芸担当)

2017年1月28日(土)13時

2020年東京大会に向けてオリンピック・パラリンピックへの関心が高まる中で、Fashion Studiesは、2017年第1弾として、日本オリンピックアカデミー(以下、略語 JOA)との共催のフォーラムを開催します。

今回のフォーラムでは、服飾史家 安城 寿子氏による「東京オリンピックのユニフォーム―赤と白をめぐる「なぜ?」を考える―」と、JICA横浜 海外移住資料館 学芸担当小嶋 茂氏の企画展示「二つのオリンピック-スポーツがつないだ日系社会-」開催報告の2つの発表を行います。
 
Fashion Studiesで、2015年9月5日に服飾史家の安城氏を講師にむかえ、「Think of Fashion 029 東京オリンピック@1964 日本選手団公式ユニフォームの変遷とそこから見えてくるもの」を開催しました。この会がきっかけとなり、JOAとのつながりができ、このフォーラムの開催に至りました。
1964年の東京オリンピック日本選手団公式ユニフォームのことは、2016年9月6日付のYahooニュース東京新聞夕刊一面に掲載され、話題になったこともあり、皆さまの記憶に新しいことと思います。
当日はより詳しく、1964年東京オリンピック日本選手団公式ユニフォームのことを安城さんからお話していただきます。また、現存するそのユニフォームも会場に展示します。

もうひとつの発表は、2016年7月16日~9月25日までJICA横浜 海外移住資料館で開催していました「企画展示「二つのオリンピック-スポーツがつないだ日系社会-」の開催報告です。アメリカ大陸の日系人は数年おきに集い、日系国際スポーツ親善大会(「日系オリンピック」)を開催していて、東京オリンピックの4年後の1968年に始まり今年で22回を迎えるとのことです。先の大会であるリオデジャネイロオリンピックで日系人も活躍しました。

このフォーラムがJOAの目標である「オリンピズムの普及と浸透」の一助となればと思っております。また2つの発表がリオデジャネイロから東京へつなぐ意味合いにもなればと思っております。

皆さまのご参加お待ちしております。

   

【発表内容】

研究発表

東京オリンピックのユニフォーム―赤と白をめぐる「なぜ?」を考える―

発表者:安城 寿子(JOA会員:服飾史家、文化学園大学ほか非常勤講師)

「日の丸カラー」とだけ説明されることの多いオリンピック日本代表選手団の開会式用ユニフォーム。赤と白のコントラストが鮮やかな開会式用ユニフォームが初めて採用されたのは1964年の東京大会のことだが、そこには、日本におけるスポーツ文化の振興に多大な功績を残したことで知られる秩父宮の意向を受けた一人の洋服商の深い思いが込められていた。

それが生み出されるまでにはどのような苦労があったのか?赤と白は何を意味しているのか?

Fashion Studiesとの共催で行われる今回の研究委員会では、日本が戦後初参加を果たした1952年のヘルシンキ大会にまで遡り、その歴史を紐解いていく。後半では、このユニフォームをめぐって、「VANの石津謙介によるデザイン」という誤った俗説が拡散・定着を見せた経緯を明らかにし、この問題と今後のオリンピックユニフォームをどうデザインしていくかというテーマとの関連についても考察を加える。※研究資料として、1964年東京オリンピック日本選手団のユニフォームの一例を紹介

展示報告

二つのオリンピック ―スポーツがつないだ日系社会―

報告者:小嶋 茂(JICA横浜 海外移住資料館 学芸担当)

いわゆる五輪のほかに、日系人にはもう一つのオリンピックがあることをご存じですか?アメリカ大陸の日系人は数年おきに集い、日系国際スポーツ親善大会(「日系オリンピック」)を開催しています。1968年に始まり今年で22回を迎えます。日系人は各国で、運動会をはじめ野球や相撲、陸上競技などをつうじて交流し、そのつながりを大切にしてきました。日系社会におけるスポーツ活動と日系アスリートの活躍についてご紹介します。

   

レポート

2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックへの関心が高まる中、Fashion Studiesは、JOA(日本オリンピック・アカデミー)との共催で研究フォーラムを開催。安城寿子氏(服飾史家)と小嶋茂氏(JICA横浜移住資料館学芸担当)による二つの講演が行われた(注1)。

ここでは、安城氏の講演「東京オリンピックのユニフォーム―赤と白をめぐる『なぜ?』を考える―」について振り返る。

講演は二部構成で、まず、1964年東京五輪の選手団公式服装(以下、ユニフォームと言う)が誕生するまでの歴史を概観した後、後半では、このユニフォームをめぐって流布されてきた「石津謙介デザイン」という俗説について考察が加えられた。

赤いブレザーと白いスラックスの鮮やかなコントラスト。1964年東京五輪の入場行進の最後を飾ったこのユニフォームは、今なお多くの日本人の記憶に鮮烈な印象を残している(注2)。「日の丸カラー」とだけ説明されることの多いこのユニフォームは誰がどのような思いを込めてデザインしたものだったのだろうか。

このユニフォームをデザインしたのは望月靖之。神田で「日照堂」という洋服店を営んでいた人物である。「日照堂」は日本大学の制服の指定商で、日大と言えば、水泳選手の古橋廣之進をはじめ、著名な運動選手を多く輩出していた大学であるから、その辺りから、望月と日本体育協会の結び付きが生まれたようだ(注3)。

1952年、望月は、日本体育協会から、ヘルシンキ大会(日本が戦後初参加を果たしたオリンピックである)の入場行進で日本選手団が身に着けるユニフォームの仕事を依頼された。この時、彼が手がけたのは紺色のブレザーにグレーのスラックスだったが、スポーツ文化に造詣が深いことで知られた秩父宮雍仁親王にそれを披露したところ、「もっと歴史を調べて日本の色をブレザーに表してみてはどうか」との示唆を賜ったという。こうして、望月は、「日本のナショナルカラーとはどんな色か」という問いに向き合うことになった。

望月に最初のインスピレーションを与えたのは「我がヒノモトの国は」という歌舞伎の台詞だった。望月は、ここから、「日本」と「太陽」の結び付きを思い、さらに、日本の国旗が日の丸であるということにも注目する。そして、赤と白の二色こそが日本選手団のユニフォームにふさわしいナショナルカラーであると考えるようになる。

しかし、こうして見出したナショナルカラーが選手団公式服装として採用されるまでの道のりは険しかった。

望月は、メルボルン大会(1956年)の選手団公式服装として赤いブレザーを提案したが、「男が赤を着るのはおかしい」などの理由でJOC(日本オリンピック委員会)はこれを却下。次のローマ大会(1960年)では、白いパイピングの施された赤のブレザーと赤いパイピングの施された白いブレザーという二つンデザインを提案したが、ここでも、望月の「本命」だった前者は却下された。1964年の東京大会でようやく望月の願いが身を結んだ背景としては、望月と大同毛織の研究によって、JOCの委員たちを納得させる「赤」の発色が可能になったということがあったようだ。こうして、実に8年越しの悲願が実を結んだのである。

以上が、1964年東京五輪の入場行進で日本選手団が身に着けていたユニフォームが誕生するまでの歴史の概要だが、このユニフォームをめぐっては、遅くとも1990年代頃までに、アイビールックで一世を風靡した「VAN」の石津謙介によるデザインであるとする誤った俗説が定着してしまっていたという。今なおそう信じて疑わない人は少なくないようだ。

確かに、石津謙介は、森英恵や芦田淳とともに1964年東京五輪のユニフォームの一部のデザインを手がけていた。しかし、それは、大会運営に携わる作業員と用務員のユニフォームであり(注4)、選手団が開会式で身に着けていたユニフォームではない。後者の選考を管轄するのがJOCであるのに対し、前者の選考を管轄するのは東京オリンピック組織委員会であり、これらは全くの別物である。そうした事実関係の詳細が確認されないまま、ファッション雑誌や服飾史概説本を通じて誤った情報が拡散され、さらには、JOCの公式サイトやNHKの番組でもそのように報じられることで「公的な歴史」としての「お墨付き」が与えられてしまった。そうして一度広まった情報はツイッターやブログなどを通じて二次的三次的に拡散され、望月と石津の知名度の差も手伝って、なかなか訂正することが難しい。

安城氏は、日本中世近世史を専門とする研究者の指摘を紹介しつつ、一次史料(当時の資料)の軽視によって史実として認定できない俗説が一般に広まるというのが歴史捏造の典型的パターンであるということに触れていたが、「みんなが言っているから」「色んな本に書いてあるから」というだけでそれを史実と信じ込むことの危険がよく分かった。

講演は、「過去の歴史をしっかり踏まえることは新しいデザインを生み出す上で非常に重要な条件の一つである」という言葉で締め括られた。2020年の東京大会に向けてしっかりフォローしていきたい問題である。

なお、「石津デザイン説」に関する詳細な検証は「SYNODOS」に掲載された安城氏の以下の論稿を参照のこと。

安城寿子「64年東京五輪『日の丸カラー』の選手団公式服装をめぐるもう一つの問題――石津謙介は監修者たりえたか」〈http://synodos.jp/culture/18079/2〉2016年12月2日

注1)小島氏の講演タイトルは「二つのオリンピック―スポーツがつないだ日系社会―」というもの。

注2)オリンピック開催国は入場行進の最後に登場するのが慣例となっている。

注3)当時、JOCは、日本体育協会の下部組織だった。

注4)スタッフ用ユニフォームには、他に、通訳・審判・警備・会場案内など様々な種類のものがあった。

   

オリンピズムの根本原則

1と2を記載します。(オリンピック憲章より)

1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。

オリンピズムってなんだろう
http://www.joc.or.jp/olympism/education/(日本オリンピック委員会公式サイトより)

   

日本オリンピックアカデミー(JOA)

http://olympic-academy.jp/

日本オリンピックアカデミー(JOA)は、1978年に設立された日本国内のオリンピック・アカデミーです。2005年に特定非営利活動法人日本オリンピック・アカデミーとなりました。英語による名称は、「Japan Olympic Academy」(略称JOA)です。JOAは独立した団体で、ギリシャに本部を持つ国際オリンピックアカデミーを頂点とし世界の137(2008年5月現在)の国や地域にある国内アカデミーの一つです。 オリンピックの思想や歴史、それを取り巻く医学や生理学の研究やオリンピック・ムーブメントの普及や教育、さらに競技だけではない広い視点からとらえてみようと言うような、オリンピックについて様々な面から関心を持つメンバーで構成されています。

JOAは広く一般に対し、オリンピック憲章の理念に則り、オリンピックおよびスポーツに関する研究および教育を通した青少年の健全な育成ならびに社会一般に対するオリンピックおよびスポーツの普及に関する事業を行い、世界の平和の維持と国際的友好親善に努め、オリンピックおよびスポーツの振興に寄与することを目的としています。

   

日時

2017年1月28日(土)13時~17時

会場

田中千代ファッションカレッジ (東京都渋谷区渋谷1-21-7) アクセスはこちら

   

Fashion Studies × 日本オリンピックアカデミー研究委員会フォーラム
主催:NPO法人日本オリンピック・アカデミー(JOA)オリンピック研究委員会  Fashion Studies
企画:JOA研究委員会フォーラム実行委員会 飯塚俊哉、今井明良、尾崎和仁、佐藤政廣、深山計
Fashion Studies 篠崎友亮

Fashion Studiesはファッションを体系的に学ぶ「場」とファッションにおいて強度のある情報を発信する「媒体」を企画運営しております。