美少女×ファッション: トーク03

近代彫刻になぜ美少女はいないのか

柴田英里(美術家・文筆家)

1. 日本における近代彫刻

本日は、次の3点についてお話ししたいと思います。一つ目に、近代彫刻にはなぜ美少女はいないのか、ということについて。二つ目に、日本的な彫刻とは何か、について。そして三つ目に、「美少女の美術史」展でも展示されていたフィギュアが孕む欲望とは何か、についてです。

日本に「彫刻」という概念が輸入されたのは明治半ばですが、それまで日本で「彫刻的なもの」といえば、仏像や置物、根付などの細工物、あとは人形や、浮彫といった生活文化に根差した伝統的な造形物が中心でした。

明治(明治22年)になって、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の講師に高村光雲が任命されます。東京美術学校は日本画などの「日本の美術」を学ぶ学校として、フェノロサと岡倉天心によって創設された学校ですが、高村光雲自身は仏師からキャリアをスタートさせた作家で、ものすごく日本的な感性を持った人物でした。しかし、近代日本画がフェノロサの理論によって整理されていった状況とは違い、岡倉天心も彫刻においては理論的な枠組みを示せなかったという状況がまずありました。

竹内久一の《伎芸天立像》(1893年)は象牙を彫った作品ですが、今日のフィギュアと親和性が高いのではと思っております。と言うのは、布の襞や皺、髪型といった装飾的なかたちのあり方に美を見出しているからです。光雲は西洋画を見て、自分の彫刻の参考にしたいと思うわけですが、その際に、何を参考にしたのかというと、「犬の毛並」みなんですね。光雲は、国から任命されて彫刻家になったのですが、もともと、装飾的なものに関心があった作家だったわけです。
高村光雲の《鞠に遊ぶ狆》(1902年)は犬の尻尾の造形、毛のような装飾的でありながらも動きを持った、装飾がかたちをもったかのような造形ですね。

光雲の息子にあたる高村光太郎の時代になると、ロダニズムの影響が強く見られるようになります。萩原守衛などもそうですが、ロダンの彫刻に感銘を受けて、留学して師事を得て、日本に帰国した際に、自分の父である光雲を全否定したりするんですね。自分の父は人形しか作っていないという理由で。
光太郎は、「造形本能からは彫刻が生まれ、模擬本能からは人形が生まれる」(*註1)ということを言ったりしています。日本の文化にも、生き人形などがあるわけですが、そうした文化よりも、西洋から輸入した異国の文化の方が素晴らしいというような理想を掲げるのです。同じように、萩原守衛も、西洋的なものにすごく憧れながら、帰国したときに、仏像の魅力に再度気付いたり、装飾的なものに抗えないというような認識を持っていたようです。

《怒涛》(1915年)は、北村西望の男性立像です。日清戦争が終わった直後、日本の強さを世界に対してより示したいと考えていた日本政府は、彫刻家たちに、モニュメンタルトとして男性立像を作らせる仕事を与えていきました。その一方で、プライベートの仕事としては、荻原守衛の《女》(1910年)が有名ですが、西洋の美術に対して立ち上がりきれない日本美術として、座り込む、あるいは寝転がる女性彫刻を日本の彫刻家たちは作るわけです。そこには、「立つ男」と「寝る女」というジェンダー的な対比が孕んでいたのではないかと思います。

また、この時期に、なぜこんなにロダニズムに熱狂したのかというと、一つには1893年のシカゴ万博で日本からの彫刻の出品作品が美術館ではなく工芸館に陳列されてしまうということが起こり、西洋彫刻に準ずるロダン的彫刻に余計熱狂したということもありました。

*註1: 高村光太郎「彫塑総論」『高村光太郎全集』第四巻、筑摩書房、1957 年、304 頁

   

2. 美少女フィギュアと装飾的な魅力

これは、「美少女の美術史」展にも出展された永島信也さんの《KING × QUEEN》(2011年)という根付ですが、やはり近代彫刻の概念ではなく、装飾的なかたちの魅力を追求した作品だと思います。《うさぎ1号》(1993年)は村上隆のフィギュア作品なども手掛けている原型師BOME(ボーメ)の作品ですが、BOMEの作品がなぜ日本的な彫刻として輸出されるかというと、仏像や置物、根付などの細工物に通じる装飾的な欲望が孕んでいるからだと思います。近代彫刻を輸入したけれど、なかなか定着しなかったものよりも、日本的なものだという見方もできるわけです。

また、近代彫刻自体が、日本だけでなく世界的にも文脈立てて整理がされにくい現状がありまして、そのなかでも異端の西洋彫刻家とされているのがマティスですが、彼はあるインタビューのなかで次のような発言をしています。
   

ドゥローイングすることによって得られる感覚に加えて、彫刻はそれ自体をひとつの対象物として、手でさわってみたくなるような気持ちを起こさせるものでなくてはならない。まさにそれ故に、彫刻家は制作しながら、ヴォリュームとマスに対する独特の要求を感じるはずです。彫刻作品が小さければ小さいほど、形態の本質がそこに存在しなければならないのです。

   
このような彫刻論をマティスは立てたわけですが、ここに追随者は現れなかったのだけれど、BOMEを中心とした日本の美少女フィギュアというのは、実のところマティスの彫刻と親和性が高いのではないかと思っております。

BOMEの《セシリア・オルコット 水着ver.》は2012年頃に作られたものですが、アニメチックでありながら、実際のアニメ(「IS <インフィニット・ストラトス>」)とは違う造形になっています。フィギュアというのはアニメの絵をどれだけ忠実に再現できるかというところで終わりがちな分野ですが、BOMEは独自のフォルムに変換してしまうんですね。それがすごく彫刻的な魅力を持っている部分だと思います。とてもマティスの彫刻に似ているなと。この智恵理さんの《1/7 シェリル・ノーム》(2014年)なんかもとても装飾的な魅力ですよね。

   

3. アニメと漫画とフィギュアの造形、その違い

そもそも、フィギュアというものがどのように発生したのか。1969年創刊の『月刊ホビージャパン』という雑誌を見ていくと、「おもちゃ」というと初期はやはりミリタリー一色なんですね。第二次世界大戦後にも関わらず、戦争の兵器をミニチュア化したものが人気だったわけですが、1975年以降、「機動戦士ガンダム」などのロボットが登場しまして、1981年に「キャラコレクション」(バンダイ)というガンダムのプラモデルに見合うフィギュアが売り出されるんですね。インジェクションプラスチックキットという。その後期のシリーズで販売されたララァとイセリナのフィギュアにおいて、初めてスカートの「中身」が作られたんですね。ここでたぶん、おたくの人たちは衝撃を受けるんですよ。イセリナは、ガンダムでそこまでメジャーなキャラではないのですが、それにも関わらず、彼女がフィギュア化されたのは、「スカートの中を覗きたいから作られたのではないか」と噂されたほどでした。

こうして、1980年代のアイドルブームと共に美少女フィギュアが作られていきます。初期の美少女フィギュアとしては、「うる星やつら」ラムちゃんなどが有名です。今日のグラビア・アイドルをそのまま型取りしましたというニッチな表現のものもあったのですが、そういうリアルでエグい路線はあまり人気がなかったようです。

このように1908年代に可愛らしい少女の像が求められたわけですが、1990年代に「美少女戦士セーラームーン」の人気で一般化します。「うる星やつら」のラムちゃんもそうですが、セーラームーンがなぜおたくにフィギュアとして受けたのかを説明すると、セーラームーンは、アニメだと、少女漫画の顔に写実的な肉体を持ったデザインになっているわけですね。アニメとして動いたときの、つまりはアクションしたときの造形の自然さと、少女漫画のような静止画の自然さと、それから、フィギュアにおける自然さというのは少し違うものがあって、初期のセーラームーンは少女漫画の顔にリアルな身体を持っていたからこそ、すごくフィギュアと親和性が高かったのではないかと思っています。

日本のフィギュアが孕む欲望というのは何か?
それはやはり装飾への欲望というのがあるのではないかと思います。髪とか羽とか服の皺とか食い込みとか、それから鎖骨にものすごく執着するような立体感覚というのは、「彫刻」という概念が日本に輸入される以前の立体感覚が反映されているのではないでしょうか。

その一つに平面的な感覚というものがあると思います。例えば、着物には「柄が立つ」という観点がありますが、人体を平面として捉えて、柄が浮き立つように独立して見えるのが良い着物とされるように、人間の身体を立体として捉えない装飾的なものにこそ美を見出す感覚が日本にはあったのだと思います。

最後に、秋山徹郎という美少女フィギュアのパイオニアについて触れておきたいと思います。彼は割と小さいサイズのフィギュアをたくさん作っているのですが、それらが、おたくの欲望を刺激しました。彼は後に「たまごっち」を開発するのですが、それは日本の近代彫刻における、ある種ファルス的ないきり勃つ男性としてではなく、手に収まる小さな乳房のような屈託のないかたちとしての造形物を求めたのではないかと思っています。

まとまりがないのですが、この辺りで終わりにしたいと思います。

   

柴田 英里(しばた・えり):
サイボーグ・フェミニズムとクィア・スタディーズをベースに、彫刻史において蔑ろにされてきた装飾性の再興、ジュディス・バトラーの「ジェンダー攪乱」的彫刻身体の攪乱と拡張をメインテーマに、美術家・文筆家として活動している。