column 022

沼田隆一(国際機関ニューヨーク)

ニューヨークのThe Museum at FITで、「Yves Saint Laurent + Halston: Fashioning the 70s」展が開催された(2015年2月6日〜4月18日)。白を基調とした展示会場には、まるでステージのようなお立ち台がいくつも設置されており、70年代のディスコ・ミュージックが流れる。かつてマンハッタンに君臨したディスコ「Studio 54」が蘇ったかのようであった。

アルジェリア生まれのイヴ・サンローラン、アメリカのアイオワ州生まれのロイ・ホルストン・フローイック。二人のデザイナーを通じて、1970年代のファッションが語られる。

展示品には、男性のものも多く含まれるが、特筆すべきは女性のファッションである。ホルストンの男性風ウルトラ・スエードのシャツ・ドレス、サンローランのパンツ・スーツ、「Le Smoking」と呼ばれた女性のタキシード・スーツ、ギャングスターのようなピンストライプのスーツなど、この時代の女性の変革を象徴するようなアイテムが集められていた。その他、エスニック、エキゾティシズムなテイストのものもある。70年代を代表する女優であるローレン・バコールのインタビューが流れていたのも、興味深かった。

二人のデザイナーにとって、70年代とはどのような時代であったのだろうか。1966年にいち早くプレタポルテラインであるイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュを始めたサンローランは、幅広いものに関心を持ち、それをデザインに反映させていった。他方、ホルストンは、ジャクリーン・ケネディが1961年の大統領就任式で「ピルボックス・ハット」を身につけたことが話題となり、以後、ライザ・ミネリなどのセレブを多数顧客に抱えるようになる。彼の持ち味は、シンプルでモダンなデザインにあったが、その一方で、ライセンス物も多く手掛けていたことで、一部では拒絶された。

その後、ホルストンはブランド経営そのものに問題が山積し、会社を追われ生涯を閉じたが、サンローランはさらにそのブランド経営そのものを発展させた。香水「オピウム」などの成功はその一例である。私自身も、1978年、渋谷のパルコにあったサンローラン リヴ・ゴーシュでフランス製の体に張り付くようなデザインのブルーブラックのダブルブレスト・ジャケットを購入している。それまで私が神格化していたヨーロッパのチェスター・バリー、フランチェスコ・スマルト、アメリカのJ.プレス、ブルックス ブラザーズのオウンメイク・ラベルとは全く違った新鮮なものであった。

この二人はオートクチュールに君臨するメゾンというものが主力の時代から、デザイナー自身のブランドが企業化してくる「70年代」という過渡期を代表しているとも言える。

日本でもイッセイミヤケやケンゾーが注目を浴び、68年にサンローランが発表した「サファリ・ジャケット」が流行し、トンボメガネ、浜トラ、ベルボトム、ホットパンツなど様々な流行を生んだ年代でもある。『アンアン』や『ノンノ』といったファッション誌が創刊されたのもこの年代ではなかっただろうか? ファッションにおいて、1970年代とは確かにエポックメイキングな時代であったのだと展示会場を後にするときに強く感じた。

沼田隆一(国際機関ニューヨーク)
2015/8