column 020

次六尚子(神戸ファッション美術館 学芸員)

民族衣装とファッション、人が服と関わるということ。

「民族衣装」という言葉について考えてみる。多くの場合、その土地の気候や風土に根ざして培われた伝統的要素が含まれたり、もしくは性別、既婚未婚、子持ちなどをみわける記号的要素がある衣装に用いられる。しかし、「民族衣装」という概念そのものが、その民族を発見した第三者からの目線であることを忘れてはいけない。つまり西洋からとらえた呼び名であるということ。忘れがちだからこそ、そういった一面を無視して今「民族衣装」という言葉そのものが独り歩きすることもある。

「ファッション」はどうか。有無を言わさず常に流行をつくりだし、衣服を媒体にし消費のための装置として働くもの。流行だからどんどん移る。そして、ファッションという言葉の意味も変化していく。民族衣装もしかり。装置とまではないが、異なる文化が絡み合い、また時代の波に乗り、どんどん形態を変えていく。地方であれば都市や交易の影響を受け、時代毎にデザイン、素材、装い方に反映される。その地域や時代だけでとどまっている衣装は決してない。私たちは今ファッションとまったく関係のない衣服を着たり、手に入れることはむずかしいのだ。

そういった意味で、ファッションは世界中に存在しうる。パリ、ロンドン、ニューヨーク・・・ファッションの中心地とされてきたのは欧米。その外にある民族衣装は、しばしば欧米のファッション・デザイナーたちのアイデアの泉とされてきた。遡れば、20世紀初頭、西洋がコルセットを脱ぎ、現代衣服である洋服が誕生した瞬間、東洋趣味が大流行し、遠く異国の衣服形態がパリ・モードに影響を与えた。80年代には、三宅一生、山本耀司、川久保玲等、日本という場所やコミュニティがもつ独自性や共鳴がグローバル化した世界を震撼させた。衣服が人間の尊厳を育む媒体となりえた経験の足跡ではないだろうか。

それ以降、民族衣装の要素が、各先進諸国のデザイナーのコレクションにうかがえたり、自国の衣装を学び、新たに都市型の民族衣装として発信していく動きも各地で多発する。先日訪れたイランのファジュル・ファッション・フェスティバルでも、中東諸国の伝統をとりいれるファッション・デザイナーの姿が目立った。また昨年、日経ナショナルジオグラフィック社が刊行した『100年前の写真で見る 世界の民族衣装』という100年前の各国の人々が多様な衣装を着こなす姿を写しだす写真集は同社の出版物の中でも異例ながら話題を呼び、神戸ファッション美術館で協同して「世界のファッション」展(2014年7月19日-10月7日)も催した。これらも世間のポジティブな関心をうかがわせるところだ。

時代はグローバル化の完了ともいうべき様相をみせるなか、違いそのものをいとおしく感じる人は多いのではないかと思う。体毛をなくした人類が着用する衣服は、実用物であることが前提で、世界の人々にとって身体と心に共通する最も身近な媒体である。だから衣服をとおして役割や個性を表現することに見出される喜びや充実感は、絶大で、それが民族衣装なのかファッションなのか、名称はどちらでもいい。衣服と積極的に関わっていくことが人の幸福にもつながるのだろうと果てしない可能性をさぐっている。

次六尚子(神戸ファッション美術館 学芸員)
2015/7

   
神戸ファッション美術館:
http://www.fashionmuseum.or.jp/sp/