column 017

川崎敦子(学生)

ファッションって、服を着たり、作ったり、見たりする、ということだけではない。
ファッションは、聞いて、考えて、ときめくもの。と、今の私は思っている。

現在、某短期大学でアパレルのことを学んでいる私は、ファッションが好きな人たちに囲まれて、日々生活している。そこで感じるのは、ファッションを単なる服=モノとしてしか見ていない人が、多くいるのではないかということだ。決してそのことが、良くないということを言いたいのではない。ただ、それだけで良いのだろうか。もう少し深く聞きたいことはないのだろうか、と思うことがある。

例えば、自分の好きなブランドがあって、好きな服があるとする。そのブランドのコンセプトや、デザイナーがその服へ込めた思い、その服がどこで作られたのかなどを、聞いたことはあるだろうか。もしくはそのようなことに、興味を持ったことはあるだろうか。ここで言う「聞く」とは、直接デザイナーに話を聞いたことはあるかという意味ではない。何か本や雑誌、Webなどで読んだことはあるかという程度の意味である。服をただ着るモノとして、ファッションを楽しむ人によっては、聞くことはどうでもよい情報となるのかもしれない。知ったところで自分にどう影響するかなんてわからないし、興味すらないのかもしれない。

しかし、私は言葉を聞いたとき、そして解ったとき、ファッションに対する考え方、見方が大きく変わったことがある。新しい発見ができたことがある。今までにないときめきを、ファッションに感じることができたことがある。デザイナーの言葉を聞くことで、その服の着る意味を考えたり、もしかしたら着心地が変わったりするかもしれない。もっとその服やブランドを好きになれるかもしれない。ファッションをモノとして見るだけではなく、言葉として表現されたものを聞くとき、違う世界が見えることがある。大袈裟かもしれないが、それくらいファッションを、言葉として聞き入れることは面白い。

ファッションを言葉で表現したもの(本、雑誌、Web)を見る人、読む人、また、言葉で表現していく場(セミナー、トークイベント)に、直接足を運ぶ人は少ない。実際、私の周りの同世代の人たちでも、ほとんどいないのが現状だ。多くの人たちは、そういうものへの関心が低いのだ。もしくは、存在すら知らないのではないだろうか。

同世代の人たちに無理に見ろとも、読めとも、聞きに行けとも言うつもりはない。しかし、知ってほしいという強い思いがあるのが正直なところだ。この「FASHION STUDIES」のような場があることをもっと知ってほしい。ファッションが言葉として表現される場、もの、そして、そこには人がいることを知ってほしい。人が服というモノを作り、人が言葉というモノを添えることで、新たなファッションが磨き生まれるのである。

川崎敦子(学生)
2015/6