1. 「美少女の美術史」展とトリメガ研究所
村上:私たちは美術史を専門にしています。青森県立美術館の工藤健志さんが現代美術で、島根県立石見美術館の川西由里さんが近代日本画、そして私は日本の彫刻や工芸について調べています。元来、美術畑の三人なので、本日は美術関連の話をトークの材料として提供させて頂き、ファッションの視点から見た「美少女」を勉強させてもらうつもりで来ておりますので、宜しくお願いします。
配布したピンクのチラシ(*画像1)が、静岡県立美術館の展覧会(2014年9月20日〜2014年11月16日)のもので、輝いているチラシ(*画像2)が島根県立石見美術館(2014年12月13日〜2015年2月16日)のチラシです。静岡県立美術館のチラシにある説明文を見てください。
現在、わが国では「美少女」をめぐるさまざまな現象が注目を集めています。
それは漫画、アニメ、映画、文学、美術、商品広告など様々な分野に登場し、現代日本文化を象徴する存在の一つとさえなっています。
そもそも少女という概念が一般に定着したのは、近代的な学校制度の整備や出版文化の発達を苗床に女学生文化が花開いた20世紀初頭のこととされています。
しかしこれ以前にも少女にあたる若い女性はさまざまに表現されていました。
本展覧会は、江戸の華ともいうべき浮世絵から、近代に隆盛を迎えた洋画や日本画の美人画、少女たちの心をとらえた叙情画、さらには漫画やアニメ、フィギュアといったキャラクター文化、そして現代社会における少女イメージを表したアート作品に至るまで、多くの少女のイメージを紹介します。
本展は、さまざまなジャンルを横断した約110作家300点の作品で、私たち日本人が少女という存在に何を求めてきたのかを振り返る試みです。
ということで、「美少女」というものをキーワードにして、日本の近現代文化を考えていこうというのが、この展覧会の眼目になります。
本題に入る前に、トリメガ研究所について説明しておきたいのですが、私たちは、四年前に「ロボットと美術」(2010-11)という展覧会を企画しました(*画像3)。これは、「ロボット」をキーワードに近現代の文化を考える展覧会です。「ロボット(robot)」というのは、1920年にカレル・チャペック(Karel Čapek 1890-1938, チェコ)が発表した戯曲『R.U.R(Rossum’s Universal Robots)』のモチーフとして登場しました。それから、1920年代の造形文化の影響を受けながら実体を得て、時代を経るごとに変化していきました。1920年代のメトロポリスのロボットから始まり、戦後の日本で特に発達したものとしては、アニメや漫画などに見られる戦闘するロボット、それからドラえもんのような親しまれるロボットといった、いわゆるサブカルチャーの要素を持つロボットがあります。
日本においては、西洋とは違う宗教的な環境もあって、人工の人間というロボットがサブカルチャーのモチーフとして親しまれてきた歴史があります。ASIMOとかAIBOなどの機械の生命というものが登場し、美術の視点だけでなく文化史的にも幅広い展覧会になったと思います。
その四年後に同じメンバーでまた何かやりたいと考えた時に、「ロボット」ときたら次は「美少女」という流れでして、今回の展覧会を企画したわけです。
なぜ、「ロボット」といったら次は「美少女」なのかというのは、分かる人には分かると思いますが・・・いわゆるサブカルチャーの中で特権的な地位を占めているモチーフといえば「ロボット」や「美少女」ということで、今回の展覧会を開催しようということに至りました。
・中央:画像2「美少女の美術史」展、島根県立石見美術館ポスター(2014-15)
・右:画像3「ロボットと美術」展、青森県立美術館ポスター(2010)
2. 「少女」の定義
村上:実際に展覧会をやってみて難しかったのが、「美少女」とは何かという定義です。チラシ(*画像1)の裏に鈴木春信の《秋の燭》(1765-70年)や、松本かつぢの《小さいお姉様》(1920-30年代)などが掲載されていますが、これらの作品を借りに行くと、「あなたたちは、「美少女」というものをどのように捉えて、どのような展覧会をやりたくて、当館の作品を借りたいとおっしゃるのですか?」というようなことを聞かれるわけです。その時に考えた美少女の定義について次に話をしてみようと思います。
ごく一般的に言われているのは、日本が近代に入って学制が整備され、高等女学校ができ、女子の高等教育ができました。それによって、子供から家庭に入る前のモラトリアムの期間を過ごす女の子たちの社会階層が出てきて、彼女らが先導したかたちで女学生文化、少女文化が登場しました。その時代から、特権的な「少女イメージ」がでてくるわけです。
その後、少女たちが消費する「少女イメージ」が出てきます。具体的に言うと、少女雑誌の挿絵や口絵、封筒や便せんといった通信インフラみたいなものに添えられた少女に消費されるイメージみたいなものから、高度経済成長期の少女イメージや、内藤ルネや水森亜土などが登場するわけです。
戦前から明治の後期、大正、昭和戦前期の文展・帝展(日展の前身)といった展覧会にも少女イラストレーションがおのずから出てくるようになりました。
近代社会の中で、ハイアートと雑誌メディア、大衆メディアの中に「少女イメージ」が並行して登場するということを両睨みで考えました。戦後、あるいは現代アートの中でも少女性を表現の真ん中においている作家も幾人かいらっしゃいますので、美術史とは謳っておりますが、美術史とメディア史の両方に足を入れて見ていこうというかたちで、この展覧会を企画しました。
「少女雑誌」については、それだけでいくつかの展覧会が既にあります。例えば、弥生美術館とかはそういったものを広く手がけていらっしゃいますが、今回の「美少女の美術史」展は、ハイアートから現代アートまでをつなげて出来るだけ、広い視野でみていこうということを試みました。
この辺りで、青森県立美術館での展覧会の様子を話してみましょうか?
3. 青森県立美術館の場合
工藤:青森県立美術館での「美少女の美術史」展(2014年7月12日〜9月7日)は、約3万4千人もの方々にお越し頂き、おかげさまで大きな好評を博しました。企画段階では、来場者の中心はオタク的な人になるのではと予想していましたが、蓋をあけると七割くらいが女性のお客さんで、しかも、若い方から年配の方まで年齢層も幅広く、ちょっと意外でした。
・青森県立美術館 2014年7月12日〜9月7日
・特設サイト: http://www.aomori-museum.jp/ja/exhibition/60/
青森は、「美少女の美術史」展の立ち上がり館なので、基本的には図録の通り16のセクション(*註1)に従って、展示を行いました。他の展覧会ではあまり見られないことですが、小学生の女の子が何人か連れ立って展覧会を見に来てくれていたこが印象に残っています。親に連れられて展覧会に来ることはよくあると思いますが、たぶん子どもたち同士で誘い合って見に来てくれたんだろうな、と思うと、ちょっと嬉しくなりました。ファッションの話とは全く関係ないけど。
*註1: 16のセクションは以下の通り。1.楽しんじゃおう! 2.アイドル&ヒロイン 3.うつくしきもの、それは少女。 4.少女の一生 5.ガールの誕生 少女文化・戦前編 6.ガールの継承—少女文化・戦後篇 7.お部屋で/お庭で 8.音楽少女 9.コスチュームプレイ 10.駆け出す少女 11.魔法少女と変身願望 12.クールビューティー 13.観用少女と、見つめ返す少女 14.真夏の夢 15.祈りと神秘 16.少女の憂い
4. 静岡県立美術館の場合
村上:(2014年の)9月20日から静岡県立美術館での展覧会が始まりました。静岡展はチラシがあるので具体的に話してみますと、今回は三館で展覧会の構成を変えようということでやっています。青森県立美術館では、先ほど工藤さんからあったように図録に沿った16の小さな小テーマが連続する、数珠つながりにつながっていくイメージで展示されていたのですが、静岡県立美術館の場合は、全体を大きく三つに分けて展示を行いました(*註2)。
・静岡県立美術館 2014年9月20日〜11月16日
・特設サイト: http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2014/04.php
*註2: 展示構成については、以下のリンクを参照。
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2014/04_midokoro.php
第一部では、歴史的な部分に着目し、「近代の少女」の登場についてまとめました。明治後期から昭和初期にかけての雑誌の付録に双六がよく付いていて、そのなかに《少女出世双六》(鏑木清方、1908年)というのがあります。それは、振り出しの所でオギャーと生まれ、小学校に行ったり、女学校に行ったりして、ある意味穏当ではないのですが、嫁入りで上ります。都市部の子は、学校とか園遊会とかに行って上りになるのですが、農村の子は、子守りや女中奉公をして上るという・・・ますます穏当ではないのですが、少女のライフコースがすごろくになっています。
右コースが都市部、左コースが農村のコースです。都市部のコースでは、看護婦さんに抱かれて病院で生まれます。生まれるところから違い、最後に嫁入り支度で上っていく。途中に様々なイベントがあります。このように当時は、典型的な少女のライフコースがあったわけです。
鈴木春信は、市井の小町娘のような、評判の美人を作品にして出版し、好評を得ていました。近代における少女という階級の他にも近世から中世でも、かわいらしい女の子に着目した、ようするに「女」ではなく「少女」という美術的な表象や、内藤ルネや水森亜土のような高度成長期時代のマテリアルカルチャーにみる世の中の少女評書を第一部で紹介しています。
第二部は、「かたち」に注目した内容になっています。例えば、《七夕》(橋本花乃、1930-31年)には七夕の際に様々なおめかしをして季節の行事に参加する女の子の様子が描かれています。いわゆる展覧会芸術でも、少女イラストレーションのような、かわいらしい女の子のかわいらしい身なりに着目して大画面に描くような作品が、最も権威とされる公的な展覧会にも登場するようになります。
次に、見られるために描かれたお酒などのポスターの女の子の絵を紹介しています。お酒のポスターに女の子が登場しているものなどを紹介しました。
さらに、形態に着目ということでフィギュアを紹介しています。フィギュアは、日本の女の子の表現のデフォルメのあり方の一つとして紹介しています。フィギュアの造形は、物理的な写実主義とは違い、見る人の欲望が投影されており、時代の流行が投影されている造形です。頭身は、アニメーションに従うかたちで、それほど高くない頭身、胸が大きくて、腰が細くて、おしりが大きいとか・・・ない方がいいキャラクターはないみたいな感じで造られていて。欲望に沿ったデフォルメの表現の一つの表れだとしてフィギュアをここでは紹介させて頂きました。
最後に、第三部では「メンタル」な部分に着目しました。例えば、ob(おび)というカイカイキキ所属の若いアーティストの作品を紹介しています(ob《彼女の唇に紅をさし、失敗して笑った。》、2013年)。女の子同士のすごく内向的な、外と切られて、ちょっと閉じたような関係性や、メランコリーを主軸にした表現を集めました。巫女さんのような超越的な神みたいなものと交信する少女などの画題は昔からありますので、「神と交信する少女」というカテゴリーでまとめました。
静岡県立美術館の「美少女の美術史」展の最後には、作品の中から私たちの方を見てくる、作品の中から私たちを見返してくる、見る者に問いかけてくるような少女絵画を展示しました。今まで見てきた女の子というのは、描かれた女の子を私たち観客がジロジロ見る・・・非常にぶしつけで、現実世界ではありえないことなんだけれども。逆に見るものに問いかけてくるような作品を、最後にまとめて展覧会としてはおしまいということにしました。
静岡県立美術館では、図録のようなエピソードの連続というよりは、整理したかたちで展覧会をまとめました。
5. 島根県立石見美術館の場合
川西:
島根県立石見美術館は、(2014年)の12月13日から開催します。どんな展示になるかはお楽しみにということで、今日はチラシ(*画像2)のお話をさせて頂きます。今回の「美少女の美術史」展は、巡回展ではありますが、三館ともポスターチラシのイメージを変えています。島根県立石見美術館のチラシは、図録を踏襲したデザインになっていまして、図録の表紙にさらにキラキラを盛ったイメージにしています。お気付きの方は、すぐに分かるかと思いますが、一般に売られている『ちゃお』とか『なかよし』、『りぼん』といった少女漫画雑誌のイメージでロゴとかハートマークを使っています。チラシの裏面もそれに合わせて丸ゴシック文字やカラフルな縁取りを施しています。
・島根県立石見美術館 2014年12月13日〜2015年2月16日
・特設サイト: http://www.grandtoit.jp/museum/exhibition/special/bisyojo/index.html
先ほどの工藤さんのお話にもあった通り、七割くらい女性客だったというお話でしたが、こういったヴィジュアルというのは女性客にはウケがいいけれど、男性にはひかれたり、ウケが悪く怒られたりしています。そこから考えたことは、このようなヴィジュアルを毛嫌いする人達が男性にいるのはなぜか、ということです。少女文化を忌避するというか、それは成熟したものではないとしたり、あるいはごく一部のそういう趣味の人が愛好するもので、一般の大人の男性は相手にするようなものではないとしたりする考えがあるため、このようなネガティブな反応が返ってくるのではないかと考えました。
このことを島根県立石見美術館の展示に活かせるかは、難しいところではありますが、このメンバーの中で一応私が唯一、元・少女なので(笑)、その視点を大切にして、「少女って何だろう?」「かわいいって何だろう?」ということをお客様に考えて頂けるような展示にしたいと考えています。
島根県立石見美術館は活動方針の一つにファッションを掲げております。私は、ファッションの専門学芸員ではないのであまり詳しくないのですが、服飾の展示や、ファッションに絡んだ展示もやっております。「美少女の美術史」展の次は、2015年の4月から「森英恵」展を予定しています。石見は森英恵さんの出身地ということで、色々とご協力を頂いています。
6. 「美少女の美術史」展とファッション
村上:次に、作品をそれぞれ二点程ピックアップして、ご紹介させて頂きます。私たちには研究員番号というものがあって、壱号(川西由里)、弐号(工藤健志)、参号(村上敬)と番号がついておりまして、その順番で話していこうかと思います。
川西:普段は、近代の日本画、特に美人画を勉強しておりますので、そこからピックアップした作品をご紹介していきます。《遠矢》、1935年は、戦前の昭和10年に描かれた丹羽阿樹子さんという京都の女性作家の作品です。かなり強烈なファッションをしておりまして、皆さん驚かれたのではないかと思います。和弓の道具を持って、遠くの的に矢を当てるために、体を傾けた姿勢をしています。腕に嵌めているグローブは、普通の弓道の用具ですが、なぜか変わったデザインのドレスを着ています。おそらく、弓道の袴をイメージしたスカートというかワンピースだと思われます。
昭和初期は、不思議なファッションが、まさに絵空事でした。実際にこのような格好をしていた人はいないと思います。昭和初期の美人画はファッション的にすごくおもしろく、妄想系なファッションが多いということをご紹介したいと思います。
次も、同じ時期の男性作家、榎本千花俊の作品です(《池畔春興》、1932年)。ドレスの上に、羽織をはおっています。日本に当時来ていた西洋の女性が、コート代わりに羽織をはおっていたようですが、日本の女の子たちが実際に街中でコート代わりに羽織をはおっていたかどうかは、証拠写真はありません。一般的ではないファッションをこのように絵画に描いている作品としてご紹介します。
今回、少女雑誌にイラストなどを提供していたような叙情画系の作家を何人か紹介しています。その中の1人の高畠華宵の作品をご覧頂きます(《光》、1920-30年代)。高畠華宵の絵は、服装のバラエティに富んでいます。例えば、竹下夢二や、蕗谷虹児は、当時の一般的な女の子が着ているスタイリッシュなファッションを取り上げているのですが、高畠華宵は、舞台衣装系なファッションを取り入れています。
次は、コスプレのようなものです(《胡蝶》、1920-30年代)。高畠華宵は、以前浅草オペラにはまっていた時期がありました。そのため舞台衣装から着想を得ていると考えられます。高畠華宵が描く女の子のなかには、蝶とか鳥の羽根を付けた女の子たちがよく登場します。他の作家に比べてコスプレ率が高いため、今回も普通に叙情画の作家の作品を並べるだけでは面白くないと考え、図録の中でコスプレという章を設け、高畠華宵の少し変わった格好の女の子たちという作品を数点ピックアップしました。
工藤:先ほど、現代美術が専門と紹介されましたが、現代美術というよりは戦後の日本美術を中心に仕事をしております。「ロボットと美術」展の時は、それぞれ専門分野で区分けして作品を選んでおりましたが、今回の「美少女の美術史」展は専門分野を越えて、テーマやコンセプトにふさわしいと思う作品をそれぞれ持ち寄って議論しました。川西さんと村上さんも現代作家の作品を選んでいるので、すごく幅が広がりましたね。とりあえずここでは僕が選んだ作品を二点ほど紹介させてもらいます。
これは岡本光博という作家の《Japanese Minimal Painting》(1998~2014)です。日本の意匠、アノニマスなデザインをモチーフにしたシリーズの一点で、ここでは誰もが目にしたことのある「いちご模様」が描かれています。このいちご模様のルーツは、内藤ルネですね。内藤ルネがこうした果物や野菜をイラスト化して、それが当時すごく流行った。昔の冷蔵庫には必ずこの手のシールが貼ってありましたよね。その後無数の類似品が出現していくなかで、もはや本来のルーツがわからなくなるぐらいに今では一般化したものになっています。いちご模様は、特に少女がはくパンティーのイメージに直結します。若い人はあまりピンとこないかもしれませんが、漫画などでスカートめくりの描写があれば必ずいちご柄のパンツだったりした時代があったのです。このように、いちご模様に託された少女イメージは、戦後日本における少女文化を考える上で重要なモチーフのひとつなのです。少女そのものを描いている訳ではありませんが、少女をめぐる様々な思考が喚起される作品ではないかと考え、展示しました。今は著作権という概念が普及し、パクりパクられ面白いものが次々登場するというおおらかな時代ではなくなりましたが、ほんらい文化とは模倣を繰り返して成熟していくものであります。このいちご模様からは、そうした文化の定着のプロセスも読み取れると思います。
もう一点の作品は、中村宏さんの作品です(《遠足》、1967年)。今でこそ、セーラー服は現代作家もよくモチーフにしますが、中村宏は50年代後半から60年代にかけて、セーラー服を着た女学生を繰り返し描いた作家です。
中村宏が、なぜ当時セーラー服を描いたのか。ちょっと歴史を振り返ると、左翼系の思想を背景として1950年代に「リアリズム絵画」が一世を風靡し、多くの作家が各地の闘争などを描いていたのですが、1956年に共産党の第6回全国大会が開催され、党の方針が大きく転換します。それを受けて、拳をつきあげるような表現から、田園の田園の農村風景や、そこで働く労働者の姿を描くようになったのです。そういう「状況」に流される芸術表現の弱さを中村さんは痛感し、「状況」に一切流されない自立した絵画とは何かを考え、自分の心のなかの奥底にある心的固着のあるモチーフこそが「状況」や「外部」によって左右されないものではないかと、画面をそれらモチーフで執拗に埋め尽くしていったのです。そこで登場するのがセーラー服であったり、一つ目もしくはのっぺらぼうの女の子、さらに飛行機や機関車、眼鏡、便器といったモチーフだったのです。
セーラー服、美少女、メカといった組み合わせの作品の先駆とも言えるし、フェティッシュとは何かということも中村宏の作品はいろいろと考えさせてくれるでしょう。
ちなみに余談ですけれども、先ほど、川西さんのお話の中に元少女というお話がありましたが、村上さんもどちらかと言うと乙女的なところがあり(笑)、むしろ男一人に、女二人でこの展覧会は作られたような気もしています。ゆえにマッチョ的な視点がかなり薄まっており、それが女性客の増加につながったのかな、とも思ったりしています。企画段階では、僕はほぼ傍観者だったことを告白しておきます(笑)。
村上:私は、静岡県立美術館の展示で、最後から三番目くらいに石黒賢一郎さんという浜松出身の作家の絵を展示しています。皆さん、ネットで石黒さんの絵を見たことがあるかもしれません。黒板の前に高校教師がいて、黒板の板書とかが白墨の様子がすごいリアルに油絵で描いた作品などです。ハイパーリアリズムの画家というニュアンスでビートたけしの番組でも紹介されていました。
石黒賢一郎さんはオタク的なモチーフの作品も描いているので、今回の展覧会では、そういったモチーフに着目して、石黒さんの作品を出展しようと考え選んだのがこの作品です(《真○○・マ○・イ○○○○ ○○》、2010-11年)。アトリエの黒板のようなところをバックにモデルが立っているところを油彩で描いているという絵です。たまに「この絵は写真ですか?」と聞かれることがありますが、油彩画です。
写真だと少し意味が変わってくると思います。油彩で縦長の掛け軸、古典絵画のような伝統的なフォーマットを思わせる作品であり、一人の女の子がこちらを静かに見据えている絵画です。静岡県立美術館に限らないのですが、「美少女の美術史」展の作品は、描いた女の子の視線がこっちにこない絵が多いです。鑑賞用のきれいな美少女たちとして画面に固着されているので、私たち観る側と目を合わせないところがあります。オウムをからかっているところが描かれていたり、季節の身だしなみで服装を整えて遊んでいるところを、はたから覗いているような絵などがあります。それに対し、石黒賢一郎さんの作品は、描かれている者がこちらを見返してくるフォーマットの作品の一つとして紹介しています。
この絵を初めて見たのは、ホルベインという絵の具メーカーの広告でした。ホルベイン絵の具は、画家の作品をモチーフに美術雑誌に広告を出しています。その見開きの広告の一つに、石黒賢一郎さんのこの絵が載っていたんです。
この広告を見た時に、すごくはしたない気分になりました。なぜかというと、モデルだから、見られることを分かって描かれているはずですが、素の状態を覗き見るようで、見てはいけないものをみてしまったような気分がしました。素の状態を覗き見てしまったような気がして。
この絵のなかの女性は、モデルの状態ではあるのだけれども、眼鏡が外されたドレスオフの状態で描かれています。眼鏡と髪飾りが、その人を示すアトリビュートであり、ヘッドセットと眼鏡だけが残っていて、普通に白いシャツの女の子を描いたというよりも、この人はそれまで、見られる自分としてコスチュームを着て、装っていたのだけれども、それを脱いで、普通の服に着替えて、ドレスオフをした一瞬のところを、写真で撮ったような絵でした。
このような絵画が、私を見て!という感じの絵画に比べて、むしろそういった状態から外れて、あるところをを私たちがえぐるように見ている。それが展覧会場の壁に掛かっていて、見てくださいって感じで照明も完全に設えて展示されているところを、私はまじまじと見る行為がはしたないような気がしたんです。絵画というのはもともとそのようなものではあるのだけれども。
例えば、普通ならやりませんけれども・・・もしも、聴衆の中にとてもオシャレな女の子がいて、それを私が演壇からしゃべっている間中ずっと凝視していたら、変質者になってしまいます。視線のルールが、絵として表されているものと社会のなかとでは違っており、そのことが、このキャラクターの場合は、キャラクターの装いをして、自分を見られる対象として提示している状態であればいいのだけれども、それを外した状態にあるところを捉えている者をまた垣間見ているという構図や、女の子を描いた絵画を男性の享受者が見るということのはしたない構造が表現されていると感じがして、とても良いと思い、出展しました。
さらに画家とモデルの関係性から言えば、コスプレを外して素の状態に戻り、画家の石黒賢一郎さんが写しているものを、また誰かが横から見るというのではなくて・・・私が石黒賢一郎さんの立場になって、写されている人のまっすぐな視線を受け止めることで、コスプレという活動が持っている、自分を見られる者として、ポーズを提示していくようなあり方と絵画が持っている対象を見られる者として提示しています。
この人はコスプレーヤーなんだけれども、オフの状態になれば、本来は見られるべき対象ではないけれども・・・というような言い訳みたいなものがあるのと。尚且つ、絵のなかのこの女性もこっちを見ている。絵画やコスチュームをめぐる視線の有り様が何重にも張り巡らされている作品だと思います。
川西 由里(研究員壱号): 工藤 健志(研究員弐号): 村上 敬(研究員参号):
2010〜2011年に青森県立美術館、静岡県立美術館、島根県立石見美術館で開催された「ロボットと美術−機械×身体のビジュアルイメージ」の担当学芸員3名が結成した仮想のラボ。名称「トリメガ」の由来は3名とも眼鏡着用者だったから(=トリプルメガネ)、というもの。「美少女の美術史」展(2014-15)は第2弾の企画にあたる。
美少女の美術史展公式サイト: http://bishojo.info
島根県立石見美術館主任学芸員。
1974年、大阪府生まれ。大阪大学大学院博士前期課程修了(芸術学専攻)。2000年より島根県立石見美術館の開館準備を担当し、2005年の開館より学芸員として勤務。企画した主な展覧会に「森鷗外と美術」(2006)、「モダンガールズあらわる。昭和初期の美人画展」(2008)、「和歌と美術」(2013)など。共編に『水絵の福音使者 大下藤次郎』(美術出版社、2006)。
島根県立石見美術館公式サイト: http://www.grandtoit.jp/museum/
青森県立美術館学芸主幹。
1967年、福岡県生まれ。大阪教育大学美術教育学専攻造形芸術学専修修了。1993年、田川市美術館(福岡県)学芸員。1998年より青森県立美術館の開館準備を担当し、2006年の開館より学芸員として勤務。企画した主な展覧会に「立石大河亞1963~1993」(1994)、「山本作兵衛展」(1995)、「マンドラゴラの実」(1997)、「成田亨が残したもの」(2003)、「造形集団 海洋堂の軌跡」(2004)、「ボックスアート」(2006)、「縄文と現代」(2007)、「寺山修司◎劇場美術館」「土方巽と日本のアヴァンギャルド」(2008)、「ラブラブショー」(2009)、「Art and Air」(2012)など。著書に『青森県立美術館コンセプトブック』(スペースシャワーブックス、2014)など。
青森県立美術館公式サイト: http://www.aomori-museum.jp/ja/
静岡県立美術館上席学芸員。
1971年、宮城県生まれ。大阪大学大学院博士前期課程修了(芸術学専攻)、東京大学大学院修士課程修了・同博士課程在学中(文化資源学専攻)。1998年、香川県文化会館学芸員。2002年より現職。企画に参画した主な展覧会に「〈彫刻〉と〈工芸〉―近代日本のわざと美」(2004)、「ボックスアート」(2007)、「維新の洋画家 川村清雄」(2013)、「夏目漱石の美術世界」(2013)など。共著に『美術史の余白に―工芸・アルス・現代美術』(美学出版、2008)など。
静岡県立美術館公式サイト: http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/