Lamp harajuku(ランプ ハラジュク)が15周年を機に、2015年2月14日に全面リニューアルオープンした。軽やかに女性らしさを表現するという意味の造語「フェミニンフェミニスト」をキーコンセプトに掲げ、ファッションを通して「女性の生き方のヒント」を提案する空間に刷新。ミナ・ペルホネン(mina perhonen)やケイスケカンダ(keisuke kanda)といった従来からの洋服のほか、お茶やアロマグッズ、陶器などの生活用品も取り扱う。
原宿の路地裏に居を構えた2000年から現在まで、原宿の女の子たちの居場所として、根強い支持を集めてきたLamp harajuku。その15年の歩みについて、Lamp harajukuのディレクター兼バイヤーを務める矢野悦子さんにお話しを伺った。
(収録:2015/3/17 *聞き手:菊田琢也)
Lamp harajuku、リニューアル
――2015年の2月に、Lamp harajuku(ランプ ハラジュク)がリニューアルをしました。その際に掲げたのが、「フェミニンフェミニスト」というコンセプトですよね。
15周年を機に、フェミニストの事業として刷新しました。Lamp harajukuを始めるときに、イメージしていたのが、女性や少女の二面性というものでした。自分とはどのような人間なんだろうというのを掘り下げたとき、私自身がそうした二面性を持っているということに行き着きました。女性でしたらほとんどの人がそうなのかもしれませんが。チェコスロバキア時代の映画『ひなぎく』(ヴェラ・ヒティロヴァ監督、1966年)がイメージとしてありました。
それから15年、こうしてやってきての思いというのは、根本は変わらないのですが、やはり生きていく上で、そして仕事をするというのは常に戦っている感じがあって、何かに立ち向かっていくようなものがある。それが何に対するものなのかというと、結局自分自身だったりするのですが、その戦い方というのは、私が10代、20代の頃はもう少し攻撃的な感じでした。パンクロックが好きだったので、パンク精神とかを出していたのですが、去年の夏ぐらいに、自分がこれまでやってきたことは結局、「フェミニスト」なんだって気付いたんです。何となく自分のなかにあったものが、ああこれなんだって、改めて言葉にできたというか。
フェミニストというと、60年代、70年代の女性解放運動のようなイメージが強いですが、自分自身や皆に対して素直で優しくあることだったり、皆を尊重し共有して生きていくというか、もう少し柔らかいものかなと。それで、「フェミニスト」の前に「フェミニン」を付けて、「フェミニンフェミニスト」というコンセプトにしました。造語なのですが、「フェミニン」がつくことで、「フェミニスト」が和らぐというか。いまの時代の女性たちにこれから必要なことを、Lamp harajukuというファッションのお店を通して、提案したいと思っています。
――取り扱う商品などで、変更したところはありますか?
基本的には変わらないです。自分がやってきた活動の根本にあったコンセプトを改めて明確にしただけなので、とくに変わりません。ただ、ここ3、4年で、ものを販売するだけ、お洋服だけじゃないんだよなぁというのが強くあって、お店をはじめた頃から作家の個展などをやったりもしていていましたが。去年ぐらいからもっと生活に寄り添えてなおかつ生産者の意図がしっかりと見えるお茶とかサプリメント、食器などを扱い始めました。
私はコーヒーを飲まないので、扱うのだったらお茶がいいなと思っていたのですが、昨年の夏にアメリカに行った際に、ベロック・ティー・アトリエ(BELLOCQ TEA ATELIER)のアトリエに伺ったのをきっかけに、彼らのお茶を二階で扱うことにしました。二階をサロンのように改装して、お客さまがお買い物をしている間にちょっと寛げる空間を、原宿の路地で提案できたらいいなというのがあって。そういう意味では少し変わりましたね。
・ann thomas(アン トーマス)靴/フランス http://www.annethomas-accessoires.com/?lang=en/
・BELLOCQ TEA ATELIER(ベロック ティー アトリエ)紅茶/アメリカ http://www.bellocq.com
・brandy nicole easter(ブランディー ニコル イースター)洋服/イギリス http://www.brandynicoleeaster.com
・chausser(ショセ)靴 http://www.chausser.net
・COSMIC WONDER(コズミックワンダー)洋服 http://www.cosmicwonder.com/ja/
・hio(ヒオ)靴 http://hio-web.com
・keisuke kanda(ケイスケ カンダ)洋服 http://www.keisukekanda.com
・la casita de wendy(ラ カシータ ドゥ ウェンディ)洋服/スペイン http://www.lacasitadewendy.com
・mina perhonen(ミナ ペルホネン)洋服 http://www.mina-perhonen.jp
・Petit Costume(プティ コスチューム)洋服
・SINA SUIEN(シナ スイエン)洋服
・sous le nez(スールネ)アロマグッズ http://www.souslenez.net
・sowa(ソーワ) 洋服 http://atelier-sowa.com
・spoken words project(スポークンワーズプロジェクト)洋服 http://spokenwordsproject.com
・tamas(タマス)アクセサリー http://tamas-uca.com
・Vida=Feliz(ヴィーダ フェリス)ハンドメイドキャンドル http://www.ne.jp/asahi/vida/feliz/
・zazi(ザジ)洋服 http://zazizazizazi.com
・ちえちひろ 陶器 http://cargocollective.com/chiechihiro
*アルファベット順、国表記のないブランドは日本
――リニューアルしてから、一ヶ月ほど経ちましたが、周囲の反応はいかがですか?
外国の方の来店が増えましたね。あと、以前は入らなかったような方たちも増えたかもしれません。入り口が開放的になったのが大きいと思います。以前からのお客さまは、開放的過ぎる入り口が逆に恥ずかしいと思っているようですが(笑)。ガラス張りになったので、外から見られているようで。
――今後、力を入れていきたい活動についてお聞かせください。
「ALTERNATIVE MARRIAGE(オルタナティブマリッジ)」というプロジェクトを昨年から始めています。ウエディングと言えば「白」で、こういうパッケージでなければいけないというのを覆したいなと思っていて、時間がかかるかもしれませんが定着させていきたいなと思っています。
とにかくまずは新たに始めた「フェミニンフェミニスト」というコンセプトを、誤解のないかたちで多くのひとに共感してもらえるように、丁寧に伝えていきたいです。
それから、二階にわりと余裕のあるスペースができたので、ゲストを呼んで、トークショーというかお茶会やお食事会のようにテーブルを囲みながら、女性の生き方についてお話しできる機会を作っていきたいです。私たち日本人って、ディスカッションしたりするのがあまり得意ではありませんが、内に秘めている思いや考えをしっかり持っているひとが多いのできっかけをつくれたらと思っています。
――それは男性も参加できるのですか?
もちろんです。「フェミニンフェミニスト」は、決して女性だけのものではないので。
少女たちの居場所、その15年
――Lamp harajukuを立ち上げるまでの経緯についてお聞かせください。
アッシュ・ペー・フランスに入社してすぐに、フランス人バイヤーが担当していたセレクトショップの買い付けに同行させてもらう機会がありました。ヨーロッパを中心に、有名な方から若手の作家までをチョイスしたブランドのセレクトをしていて、そのときに、バイヤーの仕事って素敵だなと思いました。自分の世界観をかたちにするのが素敵だなと思って。
95年か96年頃に、新しいお店をアッシュ・ペーで始めるので店長としてやってみないかというお誘いを受けました。日本人のブランドを中心にしたお店を作りたいということで。当初は、他にバイヤーを立てるということだったのですが、私は店長もバイヤーもやりたかったので、どっちもやりますと。それで、お店を始めることになって、徐々に自分がいいと思うブランドをセレクトしていけるようになって、そこで仕入れたのがミナ・ペルホネン(mina perhonen)です。それからずっと取り扱いさせていただいています。
――それは、ラフォーレ原宿の一階にあったというお店ですか?
いえ、渋谷のパルコです。ラフォーレ原宿にも「ランプ」というお店があったのですが、それは私が入社する以前にあったものです。ただ、若いデザイナーのインキュベーションではないですが、海外も含めて、作家さんを見つけて売っていくという考え方は変わっていないのではと思います。
――渋谷のパルコのお店はどのようなものでしたか。
現在のようなかたちにはまだ出来上がっていなかったのですが、Lamp harajukuの原型というか。ミナ・ペルホネンやショセ(chausser)という靴のブランド、ケイタマルヤマ(KEITA MARUYAMA)などを扱っていましたね。
――2000年に現在地(原宿)に移るわけですが、この場所に移転したのはどのような経緯からですか?
ここは元々、アッシュ・ペーの路面店があった場所なんです。ユニセックスのお店だったんですけど、会社の体制も変化する時期で、それで、私やりたいですと。路面店の方が、テナントで表現することより全体的な演出ができるので、以前からやりたいと思っていたんです。
――この辺り(神宮前4丁目28番地)は、80年代頃からアメカジ系のヴィンテージショップやストリートブランドが林立するようになった地域ですよね。90年代後半頃からは「裏原宿」と呼ばれて。当時の原宿ファッションは、表参道のホコ天(歩行者天国)を中心に女の子たちが自由な感覚で思い思いに着飾っていくスタイルがあって、他方で裏のストリートでは、男性を中心にカジュアルなファッションが流行っていく。その後、2000年前後からそうした裏原系ファッションに影響を受けたボーイッシュな女の子、エックスガール(X-girl)やミルクフェド(MILKFED.)などが典型ですが、当時「ガーリー」と呼ばれていたスタイルが出始める。そうしたファッションの流れのなかで、Lamp harajukuが原宿に登場した印象を持っていました。
当時はまさにそんな感じで、私が始める前のこのお店も、少し裏原系テイストのカジュアルなお店だったんです。でも、それを180度変えました。そしたら、今までのお客さまはさーっと引いてしまって、自分でやりたいって言ったのにそんな結果なので、三ヶ月で結果を出さなければ別の人にやらせると言われて、必死に何とかやりましたね。
路面店はやらなければいけないことが多いし、お客さまを一から作らないといけないので、ここに来てもらうための強みがないとダメなんですよね。商業施設だと、そこの力があるから集客もありますし、たまたま来てくれるお客さまに商品がマッチすれば買っていただけることもありますが、たまたま来る場所じゃないじゃないですか、この路地裏って。今でこそ人通りが増えてきましたが、当時はエックスガールやミルクフェドが全盛期でしたから、そういうお客さんしか歩いてなくて。でも、すごい勢いでファンがついてきました。半年かからなかったですね。
――何が一番のきっかけだったのでしょうか?
やはり、Lamp harajukuが扱っているようなものが他になかったからじゃないでしょうか。カジュアルなものに飽きていたんだと思うんですよね、女の子たちが。例えば、ミナ・ペルホネンの服って、普遍的だし、良いものだし、希少価値もあったし、といったところだと思います。
それから同じ頃に、『マッツ(MUTTS)』という雑誌がマガジンハウスから創刊されたんです。編集長の岡田さんという、『オリーブ(Olive)』の編集にも携わっていて、現在『クロワッサン』の編集をやっている方がとても好意的で、そして共感して下さって、取り上げてくれたんです。
――『オリーブ』は、少女性を自立した大人の女性へとうまく繋げていった雑誌で、最近再び脚光を浴びていますが、Lamp harajukuの取り組みと近いものを感じていました。
そうなんですよね。先ほどの岡田さんとか、スタイリストの大森仔佑子さんの創り出すものには非常に共感していますし、大変尊敬しています。でも、『オリーブ』は20代後半になるまでそんなに読んでいなかったんですよ(笑)。学生の頃の私はもう少しパンキッシュだったので、『キューティ(CUTiE)』などの宝島系ファッション誌とかを読んでいましたね。
――ケイスケカンダ(keisuke kanda)の取り扱いはいつ頃からですか?
確か2008年ぐらいですね。ケイスケカンダが初めて展示会をやったときから少しずつ買い付け始めました。オリジナリティがあるのと、神田恵介さんに情熱を感じたというのが大きいですね。お洋服だけではなくて、生き様みたいなものが、すごく素敵だなと。洋服プラスアルファで惚れ込んで、何かできることがあればとお手伝いしたくなる人たちですよね。
――2000年代に入り、現在に続くようなガーリー系の女の子たちが原宿に増えていきました。そういう変化のなかでお店をやられてきて、原宿の女の子たちがどのように変わっていったと見ていますか?
原宿にしても渋谷にしても、トレンドや現在流行っているもので埋め尽くされるじゃないですか。現在の原宿は90年代に近いスタイルに、少しガーリーなものが混ざった感じでしょうか。でも、Lamp harajukuに来るお客さまは、流行を求めるとかではなくて、Lamp harajukuが提案するものやことを楽しみながら受け入れてくれます。
わたしはガーリーという枠にはまろうとした瞬間に、違う方向に行こうとするんですよ、天邪鬼なんで。でも結局ガーリー以外のなにものでもないんですけど、もがくのが性分なんで。
――女の子たちは、Lamp harajukuに何を求めてやって来ると思いますか?
永遠の少女性ですかね? 色気のある少女性をLamp harajukuでは意識しています。非現実なところを味わっていただきたいという思いもありますし、決して女女ではないところというか、男性目線ではないところというか。自分がいいと思っているものを信じて、自分のスタイルにしたい人たちが求めて来てくれているのかなと思います。
少女×ファッション
――今回、少女のファッションについてお伺いしたかったのですが、どのようなものだと思われますか?
甘さは強さだとわかってて本当に何が好きなのかという、そのひと自身の原風景をしっかり持っている人には大人でも少女性を感じます。例えば、大森仔佑子さんは、話し方や雰囲気も全て含めて、いつまでも少女のような気がします。自分が好きなものをきちんとわかっていて、周りはどうとか関係ないというか。好きな世界観を持って表現できる人には、大人の少女性を感じるんですよね。
――ちなみに、「美少女」のイメージを具体的にお持ちだったりしますか?
少女のファッションでお答えした内容とほぼ同じようなイメージです。外見ではないですね。ただ、ソフィア・コッポラさんの映画『ヴァージン・スーサイズ』は少女の多感な時期の葛藤だったりをわかりやすく描いていて、そういうものを美しく綺麗な映像で、なおかつ音楽もよいチョイスで。同じ時代に聴いていたものが共通したりするというのもあってあの映画は美少女のイメージありますね。
――90年代くらいに第三波フェミニズムと呼ばれるムーブメントが登場しました。とくにロサンゼルスやニューヨークを中心に、音楽やアートを通じて活動をしていく女性たちなのですが。ソフィア・コッポラもそうした地平から登場した人物だったりします。そうした動向を受けて、日本でもガーリーカルチャーが発展していくわけですが、その流れのなかで、Lamp harajukuが2000年に登場して、原宿の少女文化をリードしていった。それが今回のリニューアルを機に、成熟したようなイメージを持ちました。「フェミニンフェミニスト」というかたちに結実していったことと、これからの日本の女性や少女が求めるものとの間には連関するものがあるのではと。
時代がそのようになってくる気がしますね。フェミニストがじゃないですが、もう一度現在の30代や20代の人たちも、私たちが90年代に感じたようなものが、Lamp harajukuのコンセプトにもありますが、女性や少女のためのコンセプトになるような気がしています。
――少女は、永遠のものとか、ロマンチックなものとしてのみ捉えてしまいがちですけど、決してそういうものだけではなくて、というところですよね。
やはりしっかり意思があるというか、優しいんだけれど強いみたいなところですよね。
アッシュ・ペー・フランス企画室クリエイティブディレクター。1993年より同社セレクトショップBoutique Dominique Rondotのスタッフを経験後、2000年からLamp harajukuのディレクター兼バイヤーとなる。
装苑ONLINEでブログを執筆中。
http://fashionjp.net/soen/blog/yoneyama/
Lamp harajuku(ランプ ハラジュク):
女性の持つ複雑さを表現し、驚きや共感を服に宿らせる日本(東京)にある色とりどりのファンタジーを集め、日常に非日常の物語を紡ぐショップ。
住所:〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-28-15
TEL:03-5411-1230
営業時間:12:00-19:30(年中無休)
http://lamp-harajuku.com/